史実から見たキングダム全史5 キングダム17巻から33巻まで

スポンサーリンク
キングダム全史
キングダムアニメより引用

史実から見たキングダム全史。

 

第5回は馬陽編が終わった17巻から合従軍編が終わった33巻までのBC243年からBC241年までを見ていきます。

 

BC243年 李牧が燕を討ち、武遂や方城などに侵攻した。キングダム17巻で描かれています。

 

BC243年 秦は蔡沢を燕に対する使者とし燕との同盟を画策する。秦は張唐を燕の宰相として派遣しようとしたが、張唐は呂不韋の説得を拒絶し燕に行こうとしなかった。

しかし、呂不韋に使えていた甘羅の説得により意を翻し、燕に行く準備をした。 だが、こののち甘羅が趙におもむいて秦趙間の同盟を取り計らい、趙と燕と戦わせる工作を行ったため趙は秦に5城を割譲し、秦は燕に太子を帰した。

蔡沢は生まれた燕から趙に赴くが、趙を追われ、韓・魏に向かう途中、賊に釜や鍋を奪われた。その際、秦の宰相范雎が自分の推薦した鄭安平と王稽が重罪を犯し、范雎が内心慚愧していると聞き、秦に赴いて人をやって范雎に「燕の客人蔡沢は天下きっての俊秀である。秦王に謁見したら、応侯范雎を苦しめ宰相の地位をすぐに奪うだろう」と言わせた。

范雎はそれを聞き、蔡沢を召した。蔡沢は「かの商君(商鞅)・呉子(呉起)・大夫種(文種)・ 白公(白起)らは国家に忠誠で、功は計り知れないのに最期には殺されました。これは范蠡を見習わなかったためです。

あなたの功は極まったのに、高位に坐しておられます。どうして宰相の印を帰し、賢者に譲って引退されないのですか」と言った。范雎は「よろしい」と言い、蔡沢を上客として待遇し、彼を昭襄王に推挙した。昭襄王はあらたに蔡沢の計画を採用して、彼を宰相とした。

キングダム45巻で書かれた蔡沢が范雎から宰相を譲り受けた舌戦というのがこのことです。

 

范雎も偉大な人物で有名なのが遠交近攻策。「穣侯はいま韓や魏と結んで斉を討とうとしているが、これは間違いです(仮に勝って領土を奪ってもそれを保持することができないため)。それよりも遠く(趙・楚・斉)と交わり、近く(魏・韓)を攻めるべきです。そうすれば奪った領土は全て王のものとなり、更に進出することができます」と昭襄王に進言した。

この方針は後の秦の中華統一に大きく影響しました。

 

蔡沢は宰相となって数ヶ月で自分をそしる者があったので、蔡沢は誅殺されることを恐れて病と称して宰相の印を返上した。のち剛成君と号し、昭襄王・孝文王・秦王政に仕えた。

 

BC243年(キングダム) 信が300人将に昇進。李牧が咸陽に来て秦趙同盟を結ぶ。王賁と蒙恬が初登場。政と太后が会合。趙高が初登場。呂不韋と太后が姦通。

 

BC242年 蒙驁が、魏を攻めて酸棗(現・河南省)など20城を奪い平定し、はじめて東郡を置いた。

キングダム18巻から23巻までの山陽攻略戦はこの時の話。王翦、桓齮が蒙驁の副将として初登場するが史実にはない。王翦、桓齮が史実に登場するのは鄴攻略戦からである。

また魏を率いたのが廉頗だというのもキングダムのオリジナル。

 

BC242年(キングダム) 河了貂が飛信隊に加入。呂不韋が相国になり昌平君は右丞相、昌文君が左丞相となる。

昌平君、昌文君が丞相になった時期は史実とズレており、史実はBC238年に嫪毐の反乱が失敗し、呂不韋が失墜してからのことになる。

24巻で蔡沢が「こらえよ李斯。お前の時代は必ず来る」と話していたがこれは史実を踏襲しており、李斯は中華統一以降も活躍(暗躍)することになる。

 

BC242年 趙将の李牧により燕の武遂と方城が奪われる。しかし、燕王喜は、趙がたびたび秦に敗北し、さらに既に名将・廉頗が出奔し将軍が龐煖に交替したのを見て、劇辛に趙に反撃するのが良いかを諮問した。

劇辛は趙にいたころ、龐煖と親しくしていたため、「龐煖は与(くみ)易きのみ(龐煖はまさしく与するのに容易い人物だ)」と答え、趙に攻め入った。しかし、燕軍のうち二万が捕虜になるという大敗に終わり、劇辛もまた戦死した。

キングダム24巻冒頭で描かれたエピソードです。

 

BC241年 趙・楚・魏・韓・燕は、秦を共同で攻撃するために、総大将を楚の考烈王、総司令を春申君として合従軍を組んだ。

然し、実際の合従軍の盟主は趙だとも考えられている。その理由として、まず楚はこの年に郢から寿春に遷都したことが挙げられる。そのため、楚は合従軍には大軍を送ることが不可能であったと考えられている。

また、趙は長平の戦いや邯鄲の戦いなど、何度も秦に対して敗戦を重ねていて、秦への恨みが深かったからである。合従軍は寿陵を取り、函谷関を攻撃した。

これがキングダム25巻から始まる合従軍編である。

 

合従軍に対して、函谷関で秦軍は迎え撃った。全軍の総指揮を採ったのは、この時点で権力を握っている相国の呂不韋と考えられている。

また、函谷関で秦軍の指揮を採った将軍は不明である。然し、過去の戦歴等を考慮すると蒙驁が指揮を採ったと考えてもおかしくはない。

また、今回の合従軍では以前とは異なり、函谷関を攻める軍以外の、別働隊を用意していた。趙の龐煖を総大将として趙・楚・魏・燕の四国の精鋭部隊を率いて蕞を攻めたが、落とせなかった。

蕞は秦王都咸陽にかなり近く、秦は滅亡の危機に陥っていた。函谷関でも秦軍が攻撃すると、合従軍は敗北した。合従軍は、秦の味方である斉を攻撃し、饒安を占領し解散した。

楚の将軍として登場した汗明は実際は遊説家であり将軍ではないが、楚の有名人物が多くないので将軍として登場させたのだろう。

臨武君も実在する人物だが史実では目立った戦績はない。将軍として名前だけ残っているような人物なのでこのタイミングで登場させたのだろう。

媧燐、白麗は史実には登場せずキングダムのオリジナルキャラクター。

 

信と同年代の千人将として登場した楚の項翼は楚の大将軍項燕の息子だと思われる。信と項燕はBC225年に戦うことになるので、項翼との因縁をここで作っておいたのだろう。

また項燕は項羽の祖父である。項羽は中華統一後に秦に対する造反軍の中核となり秦を滅ぼし、一時西楚の覇王と号したものの、その後劉邦に敗れた人物。四面楚歌の語源にもなった戦いである。

つまり名前からしても項翼は項羽の父親という立場で登場させたと予想する。また莫耶刀に関する26巻のエピソードもほぼ史実である。

 

魏の呉鳳明は父の呉慶と同様にキングダムのオリジナルキャラクター。韓の成恢、燕のオルドもオリジナルキャラクター。

趙の慶舎は合従軍編から登場したが実在する人物である。史実ではかなり前のBC256年から活躍している。

 

BC241年(キングダム) 羌瘣が仇敵・幽連を倒し、飛信隊に戻る。

コメント