第三紀 ゴンドールの同族の争い -ロードオブザリング全史-

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ロードオブザリング
Corsair Wars - Tolkien Gatewayより引用

1248年 東夷の攻撃が再び始まり、ミナルカールは大部隊を率いて出陣した。彼はロヴァニオンとリューンの湖の間の地で東夷の大軍勢を破り、湖の東にあった東夷の野営地と居住地を全て破壊した。

この時、彼は「東の勝者(East-victor)」を意味するローメンダキルを名乗った。帰国すると、彼は直ちに北の国境である白光川まで至るアンドゥイン西岸の防備を強化した。

また他国人がエミン・ムイルより下流へアンドゥインを下ることを禁じ、ネン・ヒソイルの入り口にアルゴナスの柱を建設した。

 

1250年 ローメンダキル二世は兵力の確保と北国人との繋がりを強化するため、多くの北国人をゴンドール軍に編入し、時には軍の高い地位を与えもした。

特に東夷との戦いで功績のあったヴィドゥガヴィアを重用し、彼の元に自分の息子ヴァラカールを大使として派遣した。

これには将来ゴンドール王となる息子と北国人を馴染ませておく意図があったが、ヴァラカールがヴィドゥガヴィアの娘ヴィドゥマヴィと結婚したのは予想外だった。

 

1255年 ヴァラカールは現地で北国人の習俗を学んでいるうちに、北国の土地や人々を愛するようになり、やがてヴィドゥガヴィアの娘ヴィドゥマヴィを娶り、息子エルダカール(ヴィニサールヤ)が生まれた。

北国人を白眼視していたゴンドールの貴族にとって、この結婚は前代未聞だった。

 

1294年 カルマキルがゴンドール18代目の王になる。父や兄に似て安楽な生き方を好んだ。

先王である兄のナルマキル一世に子がなかったため王位を継いだが、国の統治は兄の治世に引き続いて摂政である息子のミナルカール(後のローメンダキル二世)が行った。

王位を継いだ時点で高齢であり、10年後に死去した。

 

1300年 ナズグールが中つ国に再び現れ、魔王が造ったアングマールの王国が初めてアルセダインの北東の境界に現れる。

霧ふり山脈にもオークの数がふえ、ドワーフを攻撃する。

 

1304年 ローメンダキルは19代目のゴンドール王に即位した。王としての在位は62年間だったが、前二代の摂政であった期間を含めると、126年間ゴンドールを統治した。

 

1349年 アルセダイン7代目の王にアルゲレブ一世が即位すると、彼の治世にはカルドランとルダウアにイシルドゥアの子孫が一人も残っていなかったため、アルノール全土の主権を主張した。

カルドランは同調するが、アングマールと密かに結託していたルダウアによって拒否された。

 

1356年 アルゲレブ一世は、アングマールの脅威に対抗するために風見丘陵の防備を強化したが、ルダウアとアングマールとの戦闘で討ち死にした。

息子のアルヴェレグ一世がアルセダイン8代目の王に即位すると、カルドランとリンドンの援助を得て、ルダウアとアングマールに占拠されていた風見丘陵から敵を駆逐した。

アルセダインとカルドランの二国は、風見丘陵・東街道・ミスエイセル(にびしろ川)下流の国境線を武力で保持した。

 

1366年 ヴァラカールがゴンドール20代目の王になる。

後に彼が年老いてくると、北国人との混血である息子のエルダカールを王に戴くことに懸念を示したドゥーネダインが、ゴンドールの南部地方で反乱を起こすことになる。

 

1409年 アングマールの魔王がアルノールを攻撃する。カルドランは最後の君主(last prince)が討死し滅亡。

カルドランのドゥーネダインの残党はティルン・ゴルサド(塚山丘陵)と古森に逃れて抵抗を続けた。

指輪物語作中でフロド・バギンズたち4人のホビットが塚人に囚われた塚は、この戦いで討死したカルドラン最後の君主のものであったらしい。

トム・ボンバディルはこの塚山から塚山出土の剣を発掘してホビット達に与えた。

 

アルセダインのアルヴェレグ一世も討ち死にし、風見が丘の見張り搭と防備は、焼かれ、破壊された。

ルダウアはアングマールに臣従する邪悪な人間たちに占領され、国内に残っていたドゥーネダインは殺されるか西へ逃亡した。

ルダウアはその後の歴史に登場せず、アングマールに飲み込まれて消滅したものと思われる。

指輪物語作中で、アラゴルン二世に導かれたフロド達一行は裂け谷を目指す道中、トロルの森の近辺でルダウアの廃墟を目にしている。

 

1432年 エルダカールがゴンドール21代目の王になる。

エルダカールは北国人との混血であったため、ヌーメノールの血が薄れるのを恐れる者や、北国人を白眼視するゴンドールの一部ドゥーネダインの反発にあい、同族の争いが発生する。

ローメンダキル二世の弟カリメフタールの孫カスタミア(ゴンドール海軍の総指揮官で、反乱分子の中でもっとも多くの部下を擁していた)を中心とした一派が反乱を起こした。

 

1437年 反乱軍によってオスギリアスは包囲され、エルダカールは勇敢に抵抗したが、遂に陥落する。

この戦いでオスギリアスの星辰殿にあったパランティーアが大河アンドゥインに失われた。

エルダカール自身は脱出に成功したが、エルダカールの長男オルネンディルが捕らえられ、その後カスタミアの命で処刑された。

さらにカスタミアは残虐な性格を示し、カスタミアの命令で行われた殺戮と破壊は、戦争で起こるやむを得ない範囲を遙かに超えるものであったという。

 

カスタミアはエルダカールを放逐したことで王位を簒奪した(22代目の王となる)

エルダカールは母方の国である、北方のロヴァニオンに亡命する。

王位に就いたカスタミアだが、残虐な性格が示され、またカスタミアの頭は海軍のことばかり占めていてミナス・アノールやイシリアンの国土に興味を示さず、彼が王都をペラルギアに移そうと考えていることが明らかになると、彼を支持していたゴンドール人のカスタミアに対する忠誠心も失われていく。

一方、ロヴァニオンにある母方の一族の元に逃れることができたエルダカールはその地で人望を示し、元々エルダカールを敬愛するもの、ゴンドールに使える北国人、カスタミアを憎むようになったゴンドール人を糾合していった。

 

1447年 エルダカールは、自らの支持者(カレナルゾン、アノリアン、イシリアンからも大挙して人が集まったという)を集めて王位奪還のためにゴンドールを攻撃。

エルイの渡しでは大きな合戦が行われ、ゴンドールの最も優れた血の多くがここで流された。

エルダカール自身はカスタミアを討ち取って、息子の仇を取り、勝利した。

 

1448年 カスタミアの息子達は逃れて、他の一族やゴンドール艦隊の者と共に、ペラルギアで長く抵抗した。

やがて彼らはウンバールに逃亡した。エルダカール派は船を持っていなかったため、彼らを追うことはできなかった。

以後ウンバールはゴンドールに敵対する勢力の拠点となり、長らくゴンドールの沿岸を悩ました。

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