第三紀 アングマールとの闘い -ロードオブザリング全史-

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ロードオブザリング
映画ロードオブザリングより引用

1945年 ゴンドール王家の出であるエアルニルが王位を要求し、これにゴンドール国内のドゥーネダインが同意。エアルニルはゴンドール32代目の王となった。

エアルニル及びゴンドールと、アルヴェドゥイ及びアルセダインの関係が険悪だったというわけではなく、エアニアルは自分がゴンドールの法と必要に従って戴冠したことをアルヴェドゥイに知らせた。

 

1964年 アルヴェドゥイがアルセダインの王位を継ぎ、アルセダイン15代目の王になる。

 

1973年 アルセダインが危急存亡の時にあり、アングマールが最後の攻撃を加えるべく準備中であるとの報せがエアルニルの許に届く。

エアルニルは約束通り、割ける限りの兵力を船に乗せてできるだけ速やかに北方へ送ったが、ゴンドールも度重なる災いからの復興の途上にあり、その援軍は時期を逸していた。

 

1974年 アングマールは再び勢いを盛り返してアルセダインを席捲。王都フォルンオストは占領された。

アルヴェドゥイは最後まで北連丘に踏みとどまって防戦に努めていたが、やがて北へ逃亡し、青の山脈の外れにあるドワーフの廃坑に逃げ延びた。

その後アルヴェドゥイと彼の僅かな供回りは、飢えに襲われて廃坑から出てきたところを、フォロヘルのロスソス族に救われ、彼らの元で助けを待った。

 

1975年 キーアダンがアルヴェドゥイ救援のために派遣した船がフォロヘル湾に現れた時、アルヴェドゥイはロスソス族の族長にバラヒアの指輪を謝礼として渡して別れ、船に乗った。

この時に族長は夏まで待つようアルヴェドゥイに警告していたが、彼はそれを無視した形となった。

そして船はフォロヘル湾で悪天候に見舞われて難破し、アルヴェドゥイは滅びた。彼と共にアンヌーミナスとアモン・スールのパランティーアも海中に没した。

アルセダインは再建されることなく、長男のアラナルスは野伏の初代族長となった。

 

また、エアルニルはアングマールに攻撃されて滅亡寸前だったアルセダインとアルヴェドゥイを救援するため、息子のエアルヌアが指揮する軍勢を灰色港に派遣した。

彼らがアルセダインとアルヴェドゥイを救出するには到着が遅すぎたが、ようやくリンドンに上陸する。

それはゴンドールにとっては小派遣軍に過ぎなかったが、当時のエリアドールの民にとっては驚嘆すべき規模のものに映った。

キーアダンはリンドンから集められる限りの者を集め、さらにその下にはアルノールの残党も集結した。

全ての準備が整うと、西軍はアングマールの魔王に挑戦するべく、彼が占領するフォルンオストを目指し、ルーン川を越えて北へ進軍していった。

 

進軍してくる西軍に対し、魔王は、敵が本拠にやってくるをの待たずフォルンオストから出撃。

これに対して西軍はイヴンディム丘陵から襲いかかり、両軍はネヌイアル湖と北連丘の間の平原で激突した。

アングマール軍は劣勢であり、フォルンオストに向かって退却しようとしたところを北連丘から周ってきたゴンドールの騎兵主力部隊に北から攻め下られ、さんざんに敗退。

魔王は敗残兵を集めるとカルン・ドゥームに向かって逃走を試みたが、エアルヌア率いる騎兵部隊が再び彼に追いつき、さらに裂け谷からはグロールフィンデル率いる軍勢が出撃してきた。

挟撃されたアングマール軍は完全に殲滅され、エリアドールにその国人は一人として残らなかったという。

アングマールの軍勢が全滅した時、魔王その人がエアルヌアの前に現れて彼を襲おうとした。

エアルヌアは立ち向かおうとしたが、彼を運ぶ馬が恐怖に駆られて彼を遠くに運び去ってしまい、魔王にその様を笑われた。エアルヌアはこの時の屈辱を忘れなかった。

そこでグロールフィンデルが魔王に向かっていくと、魔王は再び逃走に転じ、夕闇にまぎれて姿を消した。

こうしてアングマールは滅ぼされた。

また、名目上アルセダインの王の臣下であったホビット庄のホビットが主張するところによると、この戦いに彼らは弓の名手たちを王への加勢として送ったが、誰一人帰ってこなかった。

このことは人間の歴史には記されていない。

 

1976年 アラナルスがドゥーネダイン族長の称号を受ける。以後彼らは野伏と呼ばれる放浪の民となり、その土地の人々に訝しがられながらも人知れずかれらを守ることを任務とした。

アルノール王家伝来の宝器(アンヌーミナスの王笏、バラヒアの指輪、折れたる剣ナルシル、エレンディルミア)はエルロンドに預けられる。

 

1977年 エオセオドの族長であったフルムガールがアンドゥインの水源の付近、霧ふり山脈と灰色山脈が合流する一帯に再移住する。

 

1979年 沢地のブッカがホビット庄初代のセインとなる。

セインとは王国の臣民であったホビット庄のホビットが王の権威を代行するために族長たちの中から選出した役職。

ホビット庄議会の議長(master of the Shire-moot)であり、ホビット庄召集兵(Shire-muster)とホビット庄民兵(Hobbitry-in-arms)の指揮官だが、議会も軍隊も危急の時にしか召集されないもので、そのような事態は絶えて久しくなったため、セインの職はほとんど名目上のものとなった。

13代目のアイスムブラス一世以降はトゥック家の家長がセインの肩書きを帯びるようになった。

トゥック家の家長は財産と人望があったこともあり、セインの名も尊敬を集めた。

 

1980年 モリアのドワーフは地中深くミスリルを求めすぎたあまりドゥリンの禍すなわちバルログを呼び覚ましてしまった。

これに、カザド=ドゥームの王ドゥリン6世が殺された。

また、ナズグールがモルドールに戻り、ミナス・イシルを包囲した。

 

1981年 モリアのバルログによってドゥリン六世が殺されたあと、ナイン一世がモリアの王となるが、ナイン自身もバルログに殺された。

以後モリアのドワーフ達は、殺されるか各地へ四散した。

バルログによりロスローリエンも危険になったと思われたため、シルヴァン・エルフの多くも南に逃れる。

ローリエンの王であったアムロスもエゼルロンドから船出して中つ国を離れようとしたが、アムロスの恋人のニムロデルはエゼルロンドへの旅の途中エレド・ニムライスで行方不明となり、アムロスらの待つ船にはやってこなかった。

アムロスの船はぎりぎりまで岸辺で待っていたが、北方荒地から南下してきた嵐によって船が沖に流された時、アムロスはニムロデルの名を叫んでベルファラス湾に飛び込み、泳いで岸へ戻ろうとしたのを最後に消息を絶った。

遺体は見つからなかったが、彼の塚はケリン・アムロスに作られた。

その後、ロスローリエンはシンダールのケレボルンとノルドールのガラドリエルを指導者に迎えた(ただし二人は君主としての称号は名乗らなかった)

かれらと共にいくらかのノルドールも加わり、領主二人の威光とノルドールの技のため、ローリエンのエルフの技術力は闇の森などと比較しても、非常に優れたものとなった。

 

1999年 ナイン一世の息子、スライン一世がエレボールに山の下の王国を築き、山の下の王となった。また同地でアーケン石を発見した。

 

2000年 ナズグールがモルドールから出撃して、ミナス・イシルを包囲攻撃する。

 

2002年 ナズグールはミナス・イシルを陥落させて占領し、イシルのパランティーアを奪った。

ナズグールの手に落ちたミナス・イシルは甚だしい恐怖の場所へと変貌し、ミナス・モルグルと呼ばれるようになった(その恐怖に対峙するミナス・アノールはミナス・ティリスに改称された)

イシルの石が敵の手に落ちたため、アノールの石が使われることもなくなり、パランティーアにまつわる伝承も公からは忘れ去られていった。

 

2043年 エアルヌアがゴンドール33代目の王になる。武芸にのみ喜びを見出す性格で、王というよりは闘士に見えたという剛勇の人物。

だが、思慮分別においてはそれを持ち合わせた父エアルニル二世に似ていなかったという。

エアルヌアがゴンドールの王位を継ぐと、魔王は彼を「北方の戦いでは自分の前に立つこともできなかったではないか」と挑発して一騎打ちを申し込んできた。

この時は執政マルディルがエアルヌアを制止した。

 

2050年 再び魔王がエアルヌアに対して「若年の頃の意気地のなさに今では老齢の弱気を加えている」と嘲りを重ねると、今度はマルディルもエアルヌアを止めることはできなかった。

エアルヌアは王冠を父の亡骸の膝の上に置くと、僅かな供回りの騎士のみを連れてミナス・モルグルに向かい、そのまま戻らなかった。

ゴンドールではエアルヌアは敵の罠にかかり、ミナス・モルグルで責め苛まれて死んだと信じられた。

エアルヌアは妻を娶らず、子も残さなかった。ただでさえ数が少なくなっていた王家の子孫には、純粋な血統の者や、国内でその王位が認められるほどの有力者がいなかった。

なにより同族の争いのような、王位を巡っての内乱が再び起こることをゴンドール人は恐れ、王位継承者を選出することを諦めた。

そのためマルディルが失踪した王に代わってゴンドールを統治することになり、以後彼と彼の子孫が統治権を持つ執政として、王の名の下に「王還りますまで」ゴンドールを治めることになった。

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