第三紀 ドワーフとオークの戦争 -ロードオブザリング全史-

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ロードオブザリング
Battle of Azanulbizar | The One Wiki to Rule Them All | Fandomより引用

2763年 ベレゴンドがゴンドール20代目の執政となる。ボロミア以来の最も偉大な大将と呼ばれた。

ゴンドールはかつての国力を取り戻したが、彼の統治時代に霧ふり山脈ではドワーフとオークの戦争(2793~2799年)が行われ、ナンドゥヒリオンの合戦(2799年)を逃れたオークたちは南下して白の山脈に居を定めようとした。

そのためローハンやゴンドールの谷間地方では何年もの間、オークとの戦闘が発生した。

 

2770年 ドワーフ繁栄の噂を聞きつけたスマウグが灰色山脈からエレボールに飛来し、山の下の王国と谷間の国を滅ぼした。

そして両国の莫大な財宝のすべてを我が物とし、山の最も奥まった大広間に積み上げて寝床とした。

このため山の周辺は竜の荒らし場と呼ばれる荒廃地と化した。

またも父祖の地を追われることになったスロールは息子スラインと孫トーリン、そして少数の縁者と忠実な従者と共に放浪し、褐色人の国に一時住まった。

 

2790年 老齢と貧困に苦しめられたスロールは、スラインにエレボールの秘密の入り口を示した地図とその鍵、そして最後の宝である七つの指輪の一つを譲り渡すと、自分は従者のナルだけを連れて一族のもとを去り、無謀にも遠祖の地であるモリアに単身帰還しようとした。

これは悲運と放浪のために頭がおかしくなっていたとも、指輪に込められたサウロンの悪意の影響とも言われている。

スロールは、引き止めるナルを置いてモリアの東門から中に入っていった。だが彼はアゾグに殺され、その首は切断されて烙印を押され、遺体は烏の餌食にされた。

アゾグはこのことを他のドワーフ達に伝えるようスロールの従者ナルに要求し、「駄賃」として小銭袋をナルへ投げつけた。

ナルによって届けられたこの非業の死の知らせはスラインのみならず全ドワーフを激怒させ、ドワーフとオークの戦争の発端になった。

スラインが各地に使者を送ると、ドゥリンの世継ぎに加えられたこの侮辱に全ドワーフが激怒し、スラインの許には全ての氏族からの軍勢が集結した。

 

2793年 ドワーフとオークの戦いが始まる。

三年をかけて全軍の招集が完了すると、怒りに燃えたドワーフの連合軍は最北のグンダバドを端緒に霧ふり山脈中のオークの拠点を片っ端から攻撃しては一つずつ奪い取っていった。

一方でドワーフの攻撃を逃れたオーク達はモリアのアゾグの許に集結した。

 

2798年 ブリッタがローハン11代目の王になる。物惜しみせず、困窮している者には助けの手を差し伸べたため、国民のロヒアリムからレーオヴァと呼ばれて愛された。

彼の時代に、ドワーフとオークの戦争で霧ふり山脈から逃げて来たオーク達が白の山脈に住み着こうとマークへ侵入し、戦闘となった。

 

2799年 アゾグの許に集結したオーク軍と、アゾグへの復讐を果たさんとするドワーフの連合軍との間で決戦となるナンドゥヒリオンの合戦が行われた。

アゾグはこの時のために温存しておいた兵力を出撃させてドワーフ軍を迎え撃ち、当初は曇天・地利・数の優勢といったオークにとっての好条件が重なったためにドワーフ側が劣勢であった。

スラインらはケレド=ザラムに近い大樹の林に追い詰められ、大きな損害を被る(ここでフレリンとフンディンが討ち死し、スラインとトーリンは負傷した)

しかしナインの率いるくろがね連山のドワーフ達が到着したことで戦局は覆った。ナインはモリアの東門の前でアゾグに挑戦し、姿を現したアゾグに斃されたが、そのアゾグもナインの息子ダインに討ち取られ、ドワーフの連合軍が勝利を収めた。

アゾグの首は杭にさらされ、その口にはかつて彼がナルに投げつけた小銭袋がつっこまれた。

かくしてドワーフの復讐は果たされたものの、かれらが被った被害もおびただしく、戦死者の数は一人一人その死を悼むこともできないほど多かった。

スラインはいったんモリアの奪回を宣言したものの、戸口から中を覗き込みドゥリンの禍の恐怖を感じたダインはスラインを留め、「ドゥリンの一族がふたたびモリアを歩くまでには、世の中が変わり、われわれ以外の別の力が出現しなければならないのです。」と予言した。

そのためモリアの奪回はなされなかった。

 

ドワーフは、死者を石の墓に葬ることを流儀としていたが、この戦いでは戦死者のあまりの多さのため、諦めざるを得なかった。

そこでかれらは戦死者をまとめて火葬にすることを選び、そのための大量の木が伐られたナンドゥヒリオンは、その後ずっと木が生えない裸のまま残ることになった。

この時の火葬の煙は、数十マイルは離れているロスローリエンからも望むことができたという。

死者を火葬にすることはドワーフ本来の流儀に反するものであり、痛ましいことのように思われた。

しかしナンドゥヒリオンの戦死者達はいつまでも敬意をもって覚えられ、「火葬にされたドワーフ」といえば彼らを指す言葉となった。

 

戦いが終わり、戦死者の火葬も済むと、集結したドワーフの連合軍はそれぞれの氏族の故郷へと散っていき、ドゥリンの一族も流離の生活へ戻る。

後に王となったスラインの息子トーリン二世はこの時の連合軍の雄姿をいつまでも忘れなかったが、ドワーフの氏族が再び連合軍を持つことはなかった。

スライン二世とその息子トーリンは西に足を向け放浪し、ホビット庄よりさらに西のエレド・ルインの南に落ち着く。

この戦いで霧ふり山脈のオークは掃討されたかに見えたが、少数は生き残って後に再び数を増やし、五軍の合戦や指輪戦争に禍根を残すことになる。

 

2841年 スライン二世はスロールから受け継いだ力の指輪がもたらす悪影響のため黄金への渇望に苛まれるようになり、ついには僅かな従者を連れてエレボールを求める旅に出た(その従者の中にはバーリンとドワーリンもいた)

 

2845年 スライン一行は死人占い師(後にサウロンだと判明する)に目をつけられ、闇の森でスラインは一人消息を絶つ。

彼はドル・グルドゥアに連行されて拷問を受け、最後の指輪も奪われた。

 

2850年 ガンダルフがドル・グルドゥアに再び潜入し、死人占い師の正体が間違いなくサウロンであることを突き止めるとともに、かれがすべての指輪を集めていて、一つの指輪及びイシルドゥアの世継に関する情報を求めていることを発見する。

またガンダルフは地下牢に放置されていたスラインを発見。スラインは指輪のことを口走るばかりで自分の名前も忘れてしまっていたが、最後にスロールの地図とエレボールの鍵をガンダルフに託すと「息子へ」と言い残して息絶えた。

 

2851年 裂け谷で白の会議が開催される。この時ガンダルフはドル・グルドゥアへの攻撃を勧告するが、サルマンは一つの指輪がアンドゥインから大海へ流れ下って失われたと述べて、今しばらく事態を静観すべきとした。

結局この時は何の行動も起こされなかった。サルマンはこの時すでに堕落しつつあった。

サルマンは元来はイスタリの最高位である白の賢者として、高貴な者であったが、ガンダルフに対する密かな妬みや恐れから次第に自尊心の虜となる。

また、ガンダルフがキーアダンよりナルヤを授けられたことに気付いたのが、堕落の始まりだったと言われている。

サウロンと力の指輪についての知識を深めていったことも堕落の危険につながっていた。

サウロンの技を研究するにつれてそれに驚嘆していったサルマンは、ついにはその模倣者に成り下がり、一つの指輪を自分自身で用いることを望むようになった。

内心で白の会議を裏切る者となった彼は、一つの指輪を手に入れるための策を弄し、あやめ野一帯の捜索を開始した。

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