第三紀 大いなる年、水の辺村の合戦と指輪戦争の終結 -ロードオブザリング全史-

スポンサーリンク
ロードオブザリング

3019年8月14日 フロドやガンダルフ、エレスサール王ら一行は、アイゼンガルドへ向かう。

 

3019年8月15日 サルマンは木の鬚を説き伏せてグリマとともにオルサンクを脱出する。その時木の鬚は、彼からオルサンクの鍵を取り上げた。

 

3019年8月18日 フロドやガンダルフ、エレスサール王ら一行は、ヘルム峡谷に着く。

 

3019年8月22日 フロドやガンダルフ、エレスサール王ら一行は、アイゼンガルドに着く。

アイゼンガルドは木の鬚らエントによって緑の土地へと変貌を遂げていた。一方で木の鬚は、無害だとしてサルマンを既に解放していた。サルマンは蛇の舌グリマを連れて、どこかへと去って行ったという。

エント達はエレスサール王からナン・クルニーア一帯を与えられる。さらに望むならと、霧ふり山脈の西まで勢力を広げ、エリアドールを自由に往来する許しを与えられる。

だが木の鬚にとって気がかりなのは、第四紀になって世界が変化しエントもこのまま消えていく運命であることだった。

メリーとピピンに別れを告げた木の鬚は、もしホビット庄でエント女について何か聞くことがあれば、自分に便りをよこしてくれるよう二人に頼み、森のなかへ歩み去っていった。

ここでレゴラスはギムリを連れて、ファンゴルンの森の中を探検に行くことを宣言。エレスサール王も帰国することにし、指輪の仲間はついに解散することになった。

 

3019年8月28日 ホビット達とガンダルフ、裂け谷の一行、ロスローリエンの一行は旅を続け、その途中でサルマンと蛇の舌に出くわす。

だがサルマンはガンダルフらの援助を断り、蛇の舌を連れて再び去って行った。

サルマンは自分の破滅を招いたホビットへ復讐することを思いつく。サルマンはかねてから手先を浸透させていたホビット庄へ先回りする。

 

3019年9月13日 ケレボルンとガラドリエルは一行から別れてロスローリエンへ向かう。残る一行は裂け谷へ向かう。

 

3019年9月21日 ホビット達と裂け谷の一行は裂け谷へ到着する。裂け谷では、ビルボが待っていた。

一つの指輪が破壊されて彼に長寿をもたらしていた力も失われたため、ビルボはすっかり老け込んでいたが、穏やかだった。

 

3019年9月22日 ビルボは129回目の誕生日を迎える。ビルボはフロドに西境の赤表紙本を渡し、伝承集の編纂の仕上げと指輪戦争についての記録をまとめる仕事を託した。

同じ頃サルマンがホビット庄に来る。

 

3019年10月5日 フロド達4人のホビットは裂け谷でしばらくビルボと共に過ごしていたが、やがてビルボやエルロンドに別れを告げ、ホビット庄へ向けて出発する。ガンダルフも同行することになった。

 

3019年10月28日 ホビット達とガンダルフは日暮れにブリー村に着く。躍る小馬亭宿主のバーリマン・バタバーによると、最近は付近に余所者がやってきて、治安が悪くなっているという。

 

3019年10月30日 ホビット達はブリー村を後にする。やがて、トム・ボンバディルに会いに行くというガンダルフと別れ、フロド、サム、ピピン、メリーの4人だけになったホビット達は、ホビット庄へ帰郷するための最後の旅を始める。

 

3019年11月1日 フロドら一行がホビット庄に戻ってくると、ホビット庄の様相は、彼らが出発したときとは大きく変わっていた。

サルマンとの取引で莫大な資金を手に入れたロソ・サックビル=バギンズは、それを元手に庄内各地の農場や生産施設、旅籠屋などを次々と買収。

その労働力としてサルマンの息のかかった機械仕掛けやごろつきを庄内に引き入れるようになり、次第に庄の実権を掌握するようになった。

この横暴に抗議しようとした庄長である小足家のウィルがごろつきにより留置穴に監禁されると、ロソは庄察頭転じて「お頭」を名乗り、大幅に増員した庄察の権威とごろつきの暴力をかさに庄民の暮らしを徹底して統制するまでになる。

これに反発したセイン、パラディン・トゥック二世は大スミアルに籠城して徹底抗戦の構えを見せたため、ごろつきは武装してトゥック郷を包囲。両者は膠着状態のままにらみ合う形となった。

そこへ自らホビット庄へやってきたサルマンはごろつきの親玉「シャーキー」として庄に君臨。

袋小路屋敷を占拠すると、グリマはサルマンに命じられて眠っていたロソ・サックビル=バギンズを刺し殺す

そしてごろつきに命じてホビット庄全土を荒廃させていった。

フロドらホビット達は蛙村で逮捕されることとなった。

 

3019年11月2日 緑竜館前で待ち構えていた6人のごろつきを斥けた4人のホビット達は故郷をごろつきの支配から解放することを決意する。

メリーが吹き鳴らしたマークの角笛に呼び出された水の辺村の住人は、お百姓のコトンを筆頭に蜂起を決意。

報復のためホビット村から引き返してきたごろつきの一団を撃退し、隊長を射殺して20名を捕虜とした。

その間ピピンはトゥック郷に赴いて水の辺村蜂起の報をもたらし、セインのパラディンは撃って出て包囲陣のごろつきを敗走せしめる。

 

3019年11月3日 朝、セインのパラディンが遣わした100人の援軍を連れてピピンが到着し、総勢数百人のホビットが水の辺村に集結する。

一方、ホビットの蜂起を鎮圧するため100人ほどのごろつきが追分に集結、水の辺村に迫っていた。

偵察を放って無警戒な敵の情報を十分獲得したホビット側は、メリーとピピンの指揮の下ごろつきの一団を迎撃する準備を整える。

 

ホビットは東街道から分かれた水の辺村へ向かう道の曲がり角の先に荷車の遮蔽物を設置し、道の両側の生垣の上にずらりを射手を配置。

道を曲がってまんまと遮蔽物に行く手を阻まれたごろつきの一団は、荷馬車からなる別の遮蔽物で退路も断たれることになった。

メリーは居並ぶ射手を示して投降を呼びかけたが、これに応じようとしたのは一部のごろつきだけでそれも仲間に襲われ、大部分のごろつきは囲みを突破しようと抗戦した。

 

まず20人ほどのごろつきが後ろの遮蔽物を突破しようとして6人が射殺され、残った者がホビットを2人殺して囲みを突破して末つ森の方向へ逃走した。

だがすでに一帯のホビットすべてが蜂起していたため、遠くまで逃げ延びることはできなかった。残った80人ほどのごろつきはめいめい囲みにとりついたが、包囲を突破することはできず大部分が弓と斧により倒された。

ごく一部の獰猛なごろつきだけが西へ囲みを突破することに成功し、逆にホビットを攻撃したが、東から回ってきたメリーとピピン率いる一隊に迎え撃たれ、ウルク=ハイに似た首領格がメリーによって討ち取られた。

メリーが手勢を後退させてごろつきの残党を射手の円陣の中に包囲したことで、戦闘は終了した。

ごろつきは70人近くが死に、10人あまりが捕虜となった。ホビットは19人が殺され、30人ほどが負傷したが、この戦いでホビット庄は自由を取り戻した。

 

死んだごろつきは戦さ坑に埋められ、戦死したホビットは山腹の共同墓地に埋葬された。

この戦いでコトン一族は声望を高め、指揮官のメリーとピピンは筆頭に記憶された。

しかしフロドはとうとう剣を抜かず、仲間のホビットが無用な殺生をするのを留める役割を果たした。

戦いの後、フロド率いるホビットたちは袋小路屋敷に赴き、ごろつきの首領であったシャーキーことサルマンに対面する。

多くのホビット達が、サルマンを捕らえて処刑するよう要求するが、フロドはそれを認めず、サルマンの堕落を嘆きながら、サルマンを追放すると宣言する。

サルマンは隠し持っていたナイフでフロドを刺そうとしたが、ミスリルの胴着に守られて怪我を負わなかったフロドは、なおもサルマンを殺すことを望まなかった。

 

サルマンは、フロドの慈悲によって生きながらえるという屈辱を味わいつつ、ずっと自分に従っていた蛇の舌についてくるよう命じる。

だがサルマンによってロソ殺害を暴かれ、足蹴にされたことで、とうとうグリマはサルマンの喉首を掻き切って彼を殺す。

そしてフロドが止める間もなく、ホビットの射手によって射殺された。

サルマンの亡骸からは人の形をした霞のようなものが立ち上がってきて西方を仰ぎ見たが、そこから吹いてきた冷たい風に吹き払われて消失。

そして亡骸は長い年月が一挙に訪れたかのように急速に萎びてしまった。

 

サルマンの悪意によってホビット庄が被った損害は大きかったが、ホビットたちは懸命に働き、サムの配慮と彼がガラドリエルから贈られた庭土もあって、その傷のほとんどは癒やされた。

この水の辺村の合戦の終結をもって、指輪戦争は終結した。

コメント