サウロンに味方した人間の話

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ロードオブザリング
映画ロードオブザリングより引用

指輪戦争ではサウロンに味方した人間も多くいました。

このテーマを語るにはそもそもこの物語における人間の成り立ちを知っておかなければいけません。

人間はエルフの次に世に送り出される事になったアルダの住人で、イルーヴァタールの第二子と呼ばれます。

エルフがアルダを美しく飾り整えることを運命づけられていたのに対し、人間はアイヌアの音楽を越えて世界と自らを作っていくことを運命づけられていました。

そのための恩寵として、人間には世界の環に束縛されないという「死すべき運命」が与えられました。

 

しかしそこに目を付けた冥王モルゴスはその恩寵を自らの支配する暗闇と混同させることで汚し、人間が死を恐れるように仕向けます。

また人間の自由な性質は、一方で自らが進むべき道に惑い、他の力や環境からの影響を受けやすく、外傷や病によって容易に命を落としてしまうことにもなります。

人間が弱く、堕落しやすいと言われるのはこのためです。

そのため人間は誕生当時からモルゴスの暗闇の下に入った者も多く、それは第三紀の指輪戦争時まで変わっていませんでした。

ゴンドールやローハンのような自由の民と呼ばれる人間はむしろ少数派であり、多数の人間がサウロンの味方をして自由の民に牙を剥きました。

 

サウロンに味方した人間の中で最も大きな勢力だったと思われるのが東夷です。映画ではフロドが黒門に辿り着いた時に見つかりそうになった場面で登場していたのが東夷です。

東夷は褐色や土気色の肌を持つ、褐色人と呼ばれる人間たちを指します。彼らは第一紀のダゴール・ブラゴルラハの後に東方からベレリアンドへやってきました。

ニアナイス・アルノイディアドではマイズロスの連合に加わりますが、モルゴスの誘惑を受けておりウルファングとその息子たちは裏切ってモルゴス側に加勢し、モルゴス側の圧勝に繋がりました。

第一紀末の怒りの戦いでも怒りの戦いで東夷のほとんどはモルゴスの側に立って戦い、敗北します。

 

第二紀でもサウロンが活動を再開すると東夷はその影響下に入り、モルドールの属国となります。また『終わらざりし物語』では、ナズグールの第二位ハムールは東夷であったことが示唆されています。

第三紀ではリューン以東に住み、度々ゴンドールに侵入します。馬車族、バルホス族なども東夷の一派であり、彼らはサウロンの意志に動かされてたびたびゴンドールに侵攻し、ゴンドールは存亡の危機に陥りました。

モルドールに帰還したサウロンが復活を宣言すると、東夷はその召し出しに応え、ゴンドールや山の下の王国、谷間の国などを攻撃しました。

サウロンの消滅によりモルドール軍が崩壊すると、大部分の者は東へ逃げるか投降し、エレスサール王が戴冠すると王は降服してきた東夷たちを許し、彼らを自由にしたと伝えられています。

 

サウロンに味方した人間の勢力の二つ目はハラドリム(ハラド人)です。映画ではムマキル(オリファント)に乗りローハン騎兵軍団を苦戦させたのが印象的でした。

またアラゴルンと死者の軍勢に敗れたウンバールの海賊もハラドリムに分類されます。

ハラドリムは「南方の民」の意で特定の民族を指す言葉ではありませんが、ゴンドール及びモルドールから見て南のハラドに住む人間の総称です。

浅黒い肌の人間を中心とし、ゴンドールでは南方人、褐色人とも呼ばれました。

 

ハラドにいつから人間が住み着いていたのかは明らかではありませんが、第二紀にはすでに原住民がいたようです。

第二紀600年にはじめて中つ国の沿岸にヌーメノールの船団が現れると、ハラドの民をはじめとする中つ国の土着の人間はかれらを落日の彼方から贈物を携えて現れる神として崇めました。

しかしヌーメノールに影が育つにつれ、かれらはハラドの西岸を中心として無数の植民地を築き、やがて過酷な略奪者として君臨するようになります。

第二紀1800年頃からヌーメノールは恒久的な居留地を築き始め、その最大のものであるウンバールは2280年には大要塞と化しました。

その後、サウロンの影響を受けて邪悪に染まったヌーメノール人はなお一層過酷な圧制者となり、ハラドの植民地から富を収奪する一方、人身御供をはじめとした忌まわしい邪教を中つ国に広めます。

第二紀3319年にヌーメノールは海中に没しますが、没落を免れた邪悪なヌーメノール人は南方の植民地で生き残り、黒きヌーメノール人として知られるようになります。

かれらの内のヘルモールとフイヌアはハラドリムの中で権力を握りました。

 

第三紀になってもハラドはサウロンの影響が強く、ゴンドールに敵対的であり続け、ウンバールはそうした敵対勢力の拠点となりました。

第三紀830年から1050年にかけてゴンドールの船艦王たちは海軍力を築いてウンバールを奪取し、ゴンドール第15代目の王ヒャルメンダキル一世は南征して大勝し、ハラドの王たちにゴンドールの主権を認めさせます。

しかし同族の争いによって王位を簒奪したゴンドール海軍総指揮官カスタミアの息子たちがウンバールに逃れ、同地にゴンドールに反抗する支配権を打ち立てると、ハラドは再びゴンドールに敵対するようになります。

ゴンドールは海軍力を喪失したことで、ウンバールを拠点とした海賊はしばしばゴンドールの沿岸地方を悩ました。

 

カスタミアの子孫による支配は、1810年にゴンドール第28代目の王テルメフタール・ウンバールダキルがウンバールを奪回するまで続きます。

これによってカスタミアの子孫は滅ぼされ、ウンバールは一時的にゴンドールの統治下に戻りました。

しかし馬車族の攻撃を受けたゴンドールはウンバールの防衛までは手が回らず、1856年頃にウンバールは再びハラドに奪われ、やがてはサウロンの支配下に入ります。

 

2980年頃、ゴンドールの執政エクセリオン二世に仕えていたソロンギル(アラゴルン二世)は、小艦隊を率いてウンバールを奇襲します。

この攻撃によりウンバールの海賊の船の大半に火が放たれ、ソロンギル自ら波止場の合戦で港の大将を倒した後、僅かな損害を出したのみで撤収に成功しました。

 

指輪戦争ではモルドールの同盟軍として、海からはハラドとウンバールの海賊がゴンドール南部の沿岸地域を攻撃し、陸路からはムマキルを伴い、イシリアンの戦闘やペレンノール野の合戦、黒門の戦いなどに参戦しました。

サウロンが滅びた後、第四紀になると、ハラドと西方諸国の間で講和が成立。ウンバールはゴンドールによって平定されることになりました。

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