ロードオブザリング登場人物のその後 旅の仲間編

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ロードオブザリング
映画ロードオブザリングより引用

ロードオブザリングの登場人物が映画で描かれたラストの後、どのような生涯を過ごしたのかをまとめていきます。

まずは指輪の仲間たちのその後について書いていきます。

 

1、フロド・バギンズ

失われた一つの指輪の記憶とナズグル、シェロブに受けた傷に苦しめられたフロドは至福の国アマンへと旅立ちます。

船上でフロドが掲げる玻璃瓶の光は瞬きながら水平線に消えていき、そしてついにある朝、フロドは至福の国の岸辺に到達したと伝えられています。

 

2、サムワイズ・ギャムジー

指輪戦争の翌年にローズ・コットンと結婚。

フロドがアマンへ旅立つ際はほとんど完成した赤表紙本と袋小路屋敷をはじめとした財産を譲られ、袋小路屋敷で暮らします。

その後ホビット庄の庄長に七度選出され、十三人の子供の父親となります。

エレスサール王との親交も保ち続け、庄長として北王国の顧問官の一員に任じられ、サムの長女エラノールはアルウェン王妃の侍女になりました。

第四紀61年に妻のローズが他界すると、長女のエラノールに西境の赤表紙本を与え、最後の指輪所持者として灰色港から西方へ去りました。

 

3、メリアドク・ブランディバック

バック郷の館主の地位を継ぎ、偉丈夫と呼ばれました。

ローハンとの友情も保持し続け、館主となった時にはエオメルとエオウィンより見事な祝いの品々が届けられます。

また、エレスサール王により北王国の顧問官に任ぜられます。

メリーはホビット庄の歴史と他国との繋がりを研究し、『紀年考』『ホビット庄の古語および古名』『ホビット庄本草考』といった多くの著作を残します。

第四紀63年の春、ローハンのエオメル王から今一度会いたいという伝令を受け、ペレグリンと共にめいめい家督を息子に譲りローハンへ赴きます。

その年の秋にエオメル王を看取った後は、ペレグリンと共にゴンドールへ赴いて短い余生を送り、亡くなるとゴンドールのラス・ディネンに葬られました。

 

4、ペレグリン・トゥック

ロング・クリーヴのダイアモンドと結婚し、息子のファラミアが生まれます。

ファラミアは後にサムの娘の金捲毛と結婚します。

トゥック家の家長となったペレグリンはセインの職を受け継ぎ、サムやメリーと同様にエレスサール王から北王国の顧問官に任ぜられます。

第四紀63年の春、息子に家督を譲るとメリーと共にローハンに赴き、エオメル王を看取ります。

その後二人はゴンドールで短い余生を過ごし、その年の秋に亡くなると、メリーと共にゴンドールのラス・ディネンに葬られました。

 

5、ガンダルフ

指輪所持者であるフロドとビルボ、そして他の指輪の守護者であるエルロンドとガラドリエルと共に、船に乗ってアマンへと去りました。

 

6、アラゴルン

エレスサール王として戴冠し、統一された北方王国と南方王国の王として、西方の王とも呼ばれるようになります。

戴冠後も東方・南方にてサウロンの同盟軍の残党と戦い、その下で西方諸国はかつてない繁栄と平和を得ることができました。

ホビット庄は統一された王国の範疇でしたが、そこをホビットの自由地とし、人間の立ち入りを禁じます。

彼自身もそれを守り、友人達と会うため、王と王妃らはブランディワイン橋のたもとまで行幸するものの、庄内に立ち入ることはありませんでした。

エレスサール王は、エレンディル以来のもっとも偉大な王として、120年の間ゴンドールとアルノールの再統一された王国を統治します。

またアルウェンとの間には、エルダリオンをはじめとする子を残します。

第四紀120年、自らの死期を悟ったエレスサール王は、ラス・ディネンの自分のために用意された寝台に身を横たえ、エルダリオンに王位を譲り、アルウェンに別れを告げると、ドゥーネダインに残された「自らが望むときに生を返上する」という恩寵を受け、崩御しました。

エレスサール王の寝台の傍らには、先にゴンドールで死去し、ラス・ディネンに葬られていたメリアドク・ブランディバックとペレグリン・トゥックの寝台が並び置かれました。

 

7、レゴラス

旅の途中で立ち寄ったファンゴルンの森やイシリアンに魅せられ、燦光洞とファンゴルンの森をギムリと共に訪ねながら闇の森の国へ帰りました。

後には闇の森の郎党の一部を連れてイシリアンに移住し、その地を美しく富ましたといいます。

しかし森で暮らしながらも海への憧れが、常にレゴラスをかき立てるようになりました。

エレスサール王が崩御すると、レゴラスはイシリアンで灰色の船を建造してアンドゥインを下り、自らの望みに従いアマンへと去ります。その時にギムリを共に連れて行ったといいます。

 

8、ギムリ

角笛城の合戦で偶然立ち寄った燦光洞の美しさに魅せられ、レゴラスと共に燦光洞とファンゴルンの森を訪れながら山の下の王国へ帰りました。

その後山の下の王国から一族のドワーフの一部を引き連れて移住し、燦光洞の領主となります。

彼らは戦争で破壊されたミナス・ティリスの城門を、ミスリルと鋼をもって再建するなど、ローハンやゴンドールで見事な仕事をしました。

ギムリはレゴラスとの友情を保ち続け、エレスサール王が崩御すると、レゴラスの船に乗ってアマンへ去りました。

ドワーフが自ら進んで中つ国を去るなど前代未聞のことでしたが、それほどまでにレゴラスとの友情は大きく、さらに(先にアマンへ去った)ガラドリエルへの尊崇の念が強かったのかもしれません。

また、ギムリがアマンに渡ることができたのも、ガラドリエルの口添えのためであったかもしれません。

レゴラスとギムリが去ったことで、中つ国において指輪の仲間は跡を絶ちました。

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