ゴンドールの歴代王族について

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ロードオブザリング
映画ロードオブザリングより引用

以前はローハンの歴史を王族と共に紹介しました。

ローハンの歴史について

本日は同じようにゴンドールの歴史を王族と共に紹介します。

 

・初代 エレンディル 第二紀3320~3441年

ヌーメノールの没落から逃れたエレンディル率いる4隻の船は中つ国のリンドンに流れ着き、ギル=ガラドの援助を得て、ルーン川を遡ってイヴンディムに達すると、そこに北方王国アルノールを築きます。

一方、二人の息子イシルドゥアとアナーリオンが率いる5隻の船は大河アンドゥインの河口に流れ着き、大河を遡ったところに南方王国ゴンドールを築きました。

エレンディルはこれら亡国の民の王国全土の上級王と見なされました。

ところが、サウロンもまたヌーメノールの没落を逃れてモルドールに帰還していたことが明らかになります。

サウロンは、ヌーメノールで自分の思い通りにならなかったエレンディル達が中つ国で王国を築いていることを知ると、憎しみを募らせてゴンドールを急襲。

攻撃を逃れたイシルドゥアからこの報せを受けたエレンディルは、ギル=ガラドとの間に最後の同盟を結んでサウロンに抵抗します。

滅びの山の裾野で行われた最後の戦いにおいて、ナルシルを手にしたエレンディルはギル=ガラドと共に、姿を現したサウロンと戦って勝利しますが、二人の上級王もまた倒れ、エレンディルの体の下でナルシルは二つに折れます。

イシルドゥアは父の剣の柄本に残った刃でサウロンの指を切り取り、一つの指輪を手にしました。

 

・2代目 イシルドゥア 第二紀3320年~第三紀2年

エレンディルの死後イシルドゥアはアルノールとゴンドールを統べる上級王となったことを宣言します。

またエルロンドとキーアダンは、指輪を滅びの山の火中に投ずることを勧めますが、イシルドゥアは戦いで死んだ父エレンディルと弟アナーリオンの「贖いの品」として、これを自分のものにすることも宣言します。

戦後処理が終わると、イシルドゥアはゴンドールの統治を弟の息子メネルディルに委ね、自らは父の王国を継ぐべく北のアルノールに向けて旅立ちました。

しかし一行はあやめ野でオークの残党に襲撃されます。

一つの指輪がオークの猛攻を招いていることに気づいたイシルドゥアは、一つの指輪を嵌めて単身脱出しようとしましたが、アンドゥインの河中で指輪は彼を裏切って指から抜け落ちます。

そのため岸に上がったところをオークに発見されて射殺されました。

 

・3代目 メネルディル 2~158年

イシルドゥアからゴンドールの統治を委ねられたメネルディルがそのまま王位を継承します。

内心ではイシルドゥア達が北へ去ることを喜び、彼らが北方の統治にかまけてゴンドールへ戻ってこないことを望んでいたといいます。

 

・4代目 ケメンドゥア 158~238年

目立った記述無し

 

・5代目 エアレンディル 238~324年

目立った記述無し

 

・6代目 アナルディル 324~411年

目立った記述無し

 

・7代目 オストヘア 411~492年

ミナス・アノールを再建し、以降の歴代の王たちは、夏にはオスギリアスよりもミナス・アノールに住みました。

晩年の490年に東夷が初めてゴンドールを襲撃します。

 

・8代目 ローメンダキル一世 492~541年

元々の名はタロスタールですが、第三紀500年に東夷を撃退したため、クウェンヤで「東の勝者(East-victor)」を意味するローメンダキルを名乗ります。

しかし541年に新手の東夷との戦いで討ち死にしました。

彼は執政(アランドゥア)の役職を初めて設けます。

 

・9代目 トゥランバール 541~667年

東夷に殺された父ローメンダキル一世の仇を討ち、東方に多くの領土を獲得しました。

 

・10代目 アタナタール一世 667~748年

目立った記述無し

 

・11代目 シリオンディル 748~830年

目立った記述無し

 

・12代目 ファラストゥア 830~913年

元来の名はタランノン。

王位を継ぐ前は、自らが作った海軍でアンドゥイン河口の西と南の沿岸沿いにゴンドールの勢力を広げます。

その勝利を記念して、クウェンヤで「沿岸の支配者(Lord of the Coasts)」を意味するファラストゥアの名で即位し、船艦王と呼ばれました。

船艦王とはゴンドールの海軍力を増強し、ベルファラス湾沿いに南に領土を拡げてゴンドールの絶頂期を築いた第12代から15代までの四代の王たちを指す語で、ファラストゥアが初代船艦王となります。

妻ベルシエルとは不仲で、子供がおらず、後に彼はベルシエルを粛清します。

そのため王位は弟タルキアヤンの息子エアルニル一世が継ぎました。

 

・13代目 エアルニル一世 913~936年

2代目の船艦王。ペラルギアの古い港を修復して大海軍を築き上げ、第三紀933年にウンバールを陸と海から包囲攻撃して陥落させます。

しかし936年のウンバール沖での大嵐により、配下の大勢の船もろとも遭難して行方不明となりました。

 

・14代目 キアヤンディル 936~1015年

3代目の船艦王。

ウンバールを追われた諸侯が率いるハラドリムによってウンバールで包囲され、1015年にハラドワイスでの合戦で討ち死にします。

しかしウンバール自体はゴンドール海軍の存在により、陥落することはありませんでした。

 

・15代目 ヒャルメンダキル一世 1015~1149年

元々の名はキアヤヘア。ファラストゥアから4代続いた最後の船艦王。

ハラド侵攻の時機を待って兵力を蓄え、時が至るとハルネン川を渡河し、南方へ進軍。

海陸両面からの攻撃によって、1050年にハラドリムに大勝し、ハラドの王たちにゴンドールの主権を認めさせます。

この勝利により、彼はクウェンヤで「南の勝者(South-victor)」を意味するヒャルメンダキルを名乗りました。

彼の治世にゴンドールの国力は絶頂に達し、何者も彼の支配に抵抗しようとはしませんでした。

アンドゥインの谷間の人間たちはゴンドールの主権を認め、ハラドの王たちは忠誠を誓って息子をゴンドールの王宮に人質として送りました。

 

・16代目 アタナタール二世 1149~1226年

クウェンヤのアルカリン、すなわち栄誉王の名でも呼ばれます。

非常に豪奢な生活を送ったため、「ゴンドールでは宝石も子供たちのおはじき石」と言われました。そして彼の代にゴンドールの王冠は宝石をちりばめたものに取り換えられました。

彼の治世は父王ヒャルメンダキルが築いたゴンドールの絶頂期にあたりましたが、アタナタールは安楽な生き方を好み、受け継いだ王国を維持する努力を怠ったため、後の衰退の元となります。

 

・17代目 ナルマキル一世 1226~1294年

父のアタナタール二世に似て安楽な生き方を好みました。

煩わしいことから逃れるため、1240年に弟カルマキルの息子のミナルカール(後のローメンダキル二世)を摂政に任命し、以降は彼に国を治めさせます。

また、ナルマキルの治世に東夷の攻撃が再び始まり、1248年にミナルカールが東夷の大軍勢を破ります。

子がなかったため、死後は弟のカルマキルが王位を継ぎました。

 

・18代目 カルマキル 1294~1304年

父や兄に似て安楽な生き方を好み、国の統治も兄の治世に引き続いて摂政である息子のミナルカール(後のローメンダキル二世)が行います。

王位を継いだ時点で高齢であり、10年後に死去しました。

 

・19代目 ローメンダキル二世 1304~1366年

本来の名はミナルカール。非常に元気旺盛な人物として知られます。

1240年、ミナルカールは伯父である当時の王ナルマキル一世により、摂政に任じられます。

以後ミナルカールはナルマキルの在位中と、ナルマキルの死後に王となった父カルマキルの在位中、二代に渡って王の名の下に摂政として実際にゴンドールを統治します。

ナルマキルの治世に東夷の攻撃が再び始まり、1248年にミナルカールは大部隊を率いて出陣しました。

彼はロヴァニオンとリューンの湖の間の地で東夷の大軍勢を破り、湖の東にあった東夷の野営地と居住地を全て破壊します。

この時、彼は「東の勝者(East-victor)」を意味するローメンダキルを名乗りました。

帰国すると、彼は直ちに北の国境である白光川まで至るアンドゥイン西岸の防備を強化。

また他国人がエミン・ムイルより下流へアンドゥインを下ることを禁じ、ネン・ヒソイルの入り口にアルゴナスの柱を建設します。

さらに兵力の確保と北国人との繋がりを強化するため、多くの北国人をゴンドール軍に編入し、時には軍の高い地位を与えました。

特に東夷との戦いで功績のあったヴィドゥガヴィアを重用し、1250年には彼の元に自分の息子ヴァラカールを大使として派遣します。

これには将来ゴンドール王となる息子と北国人を馴染ませておく意図がありましたが、ヴァラカールがヴィドゥガヴィアの娘ヴィドゥマヴィと結婚したのは予想外でした。

1255年に生まれたヴァラカールとヴィドゥマヴィの息子エルダカールの存在は、後にゴンドールの内乱(同族の争い)を招きます。

1304年にローメンダキルは19代目のゴンドール王に即位。

王としての在位は62年間でしたが、前二代の摂政であった期間を含めると、126年間ゴンドールを統治しました。

 

・20代目 ヴァラカール 1366~1432年

ゴンドールと北国人との繋がりを強化するため、1250年に当時のゴンドールの摂政である父ミナルカール(後のローメンダキル二世)によって、北国人の有力者ヴィドゥガヴィアのもとへ大使として派遣されます。

ヴァラカールは現地で北国人の習俗を学んでいるうちに、北国の土地や人々を愛するようになり、やがてヴィドゥガヴィアの娘ヴィドゥマヴィを娶り、1255年には息子エルダカール(ヴィニサールヤ)が生まれました。

北国人を白眼視していたゴンドールの貴族にとって、この結婚は前代未聞でした。

後に父の跡を継いで王となりますが、彼が年老いてくると、北国人との混血であるエルダカールを王に戴くことに懸念を示したドゥーネダインが、ゴンドールの南部地方で反乱を起こしました。

 

・21代目 エルダカール 1432~1437年

エルダカールは北国人との混血であったため、ヌーメノールの血が薄れるのを恐れる者や、北国人を白眼視するゴンドールの一部ドゥーネダインの反発にあい、カスタミアの反乱が発生します。

1437年、反乱軍によってオスギリアスは包囲されましたが、エルダカールは敵の目を逃れて脱出(しかし、その時カスタミアに捕らえられた長男オルネンディルが殺されます)

脱出後、エルダカールは母方の国である、北方のロヴァニオンに亡命します。

 

・22代目 カスタミア 1437~1447

王位に最も近い人物であり、ゴンドール海軍の総指揮官として沿岸地方とペラルギアおよびウンバールに多数の支持者を擁していました。

そのため北国人を母に持つエルダカールが1432年にゴンドールの王位を継ぐと、これに反発する勢力の最有力者となり、1437年にオスギリアスを包囲攻撃してエルダカールを放逐、王位を簒奪します。

しかしそれに前後して残虐な本性をあらわにし、捕らえたエルダカールの息子オルネンディルを処刑したことをはじめオスギリアスで不必要な殺戮と破壊を行います。

さらに陸の国土よりも艦隊のことに興味を持っていたようで、王都をオスギリアスからペラルギアに移そうとしました。

こうした行状から内陸部のドゥーネダインの支持を失い、ロヴァニオンに亡命したエルダカールが蜂起すると多数の民がエルダカールの許に馳せ参じる結果となります。

そして王位簒奪から10年後の1447年、レベンニンのエルイの渡しで行われた大合戦において、カスタミアはエルダカールによって討ち取られました(同族の争い)

しかしカスタミアの息子達は海軍力を掌握していたためにペラルギアで持ちこたえ、やがて叛徒を糾合するとウンバールに逃げ込んで王権に対抗する勢力を打ち立てました。

以後ウンバールはゴンドールに敵対する勢力の拠点となり、長らくゴンドールの沿岸を悩ますことになります。

 

・21代目 エルダカール 1447~1490年(復位)

亡命した北方のロヴァニオンで人望を示して、その地で反カスタミア勢力を糾合し、やがて1447年にゴンドールに攻め込みます。

エルダカールはレベンニンのエルイの渡しの合戦でカスタミアの軍を撃破、自らカスタミアを討ち取って息子の仇を取り、ゴンドールの王に復位しました。

また、エルダカールの親類からロヴァニオン王家が出て、さらにエオル王家に繋がっているとも言われます。

 

・23代目 アルダミア 1490~1540年

エルダカールの次男ですが、本来の王位継承者である兄オルネンディルがカスタミアに殺されたため、父の死後にゴンドールの王位を継ぎます。

1540年にハラドリム及びウンバールの海賊と戦って討ち死にしました。

 

・24代目 ヒャルメンダキル二世 1540~1621年

元来の名はヴィンヤリオン。

第三紀1551年にハラドリムを破って父アルダミアの仇を討ち、ヒャルメンダキル二世を名乗りました。

 

・25代目 ミナルディル 1621~1634年

後の執政家の祖となるフーリンを執政に任命します。

第三紀1634年に、カスタミアの子孫であるアンガマイテとサンガヒャンドが率いるウンバールの海賊によってペラルギアで殺されました。

 

・26代目 テレムナール 1634~1636年

1634年に父王ミナルディルが海賊に殺されたことで王位を継ぎますが、1636年に流行した悪疫によって子達全員と共に病死。彼が死ぬとミナス・アノールの白の木も枯死しました。

王位は彼の弟ミナスタンの息子タロンドールが継承します。

 

・27代目 タロンドール 1636~1798年

1640年に、悪疫によって人口が希薄になり、荒廃し始めたオスギリアスからミナス・アノールへ王宮を永久的に移しました。

同時にテレムナールと共に枯死した白の木の代わりに、その実生をミナス・アノールの城塞に植えます。

ゴンドール王としては若くして即位したため、在位期間は歴代ゴンドール王の中で最長の162年間となりました。

しかしその治世では悪疫からの復興と、国力の回復以上のことは成しえませんでした。

また、アタナタール・アルカリンの治世からゴンドールによるモルドールへの監視は疎かにされていましたが、悪疫がもたらした国力の疲弊と人口減少による人手不足から、ついに監視は中止され、国境の山道を守る砦が無人と化します。

後に監視のないまま放置されたモルドールにはナズグールたちが入り込んで力を蓄え始めることとなりました。

 

・28代目 テルメフタール・ウンバールダキル 1798~1850年

ゴンドールの沿岸部を荒らす海賊に対抗し、第三紀1810年にウンバールを襲撃します。

彼は同地を奪取してカスタミアの子孫を滅ぼし、クウェンヤで「ウンバールの征服者(Conqueror of Umbar)」を意味するウンバールダキルの称号を名に加えます。

ウンバールは一時的にゴンドールが領有しました。

 

・29代目 ナルマキル二世 1850~1856年

彼の治世の1851年に東方から現れた馬車族がロヴァニオンへ侵攻を開始。

悪疫の打撃からまだ立ち直っていなかった北国人はこれを迎え撃ったが打ち破られ、かれらの領土は馬車族に占領されます。

1856年、ナルマキル二世は大軍を率いて出撃し、北国人の残党と共に馬車族と戦いましたが、馬車族の勢いは強く、アンドゥインの先、闇の森の南にある平原でゴンドール軍は敗退し、ナルマキルは討死します。

この戦いでは北国人マルハリの活躍によってゴンドール軍はかろうじて壊滅を免れました(広野の合戦)

 

・30代目 カリメフタール 1856~1936年

馬車族は浅地からカレナルゾンを急襲することを目論みますが、これを察知したナルマキルの息子カリメフタールは、マルハリの息子マルフウィニと協同して反撃を計画します。

1899年、進撃してくる馬車族を迎え撃ったカリメフタールは、ダゴルラドでマルフウィニ率いる騎馬軍団と共にこれを挟撃し敗走させることに成功。

さらに奴隷となっていた北国人達がロヴァニオンで反乱を起こし、馬車族の野営地を破壊。行き場を失った馬車族は東方へ逃げ帰り、カリメフタールは父ナルマキル二世の仇を討ちました。

こうして馬車族の第一波は辛うじて撃退されましたが、北国人は故国を失って散り散りとなり、ゴンドールは東方の領土を完全に失います。

また、1900年には、ミナス・ティリスに最初に白の塔を建造しています。

 

・31代目 オンドヘア 1936~1944年

彼の時代に南方王国と北方王国は、ドゥーネダインに敵意を持つ一つの意志が蛮夷や天災などを操って両王国に攻撃を加えていることに気付きます。

そこでオンドヘアはアルセダイン王アラファントと協議し、長らく疎遠だった南北両王国の連携を新たにして同盟を結成します。

その一環として、1940年に自身の娘フィーリエルをアラファントの息子アルヴェドゥイに嫁がせました。

1944年には馬車族が再度ゴンドールに侵攻してきます。

マルフウィニの息子フォルスウィニから警告を受けていたオンドヘアはゴンドール軍を北軍と南軍に分け、自らは北軍を率いて馬車族を迎え撃ちました。

ところが馬車族の戦車と騎兵からなる前衛部隊は予想以上に迅速かつ強力であり、ゴンドール北軍はモランノンの北のダゴルラドで陣を十分に整えられないまま蹂躙され、オンドヘアと、彼の二人の息子アルタミアとファラミアは討死します。

そのまま馬車族はイシリアンになだれ込みましたが、勝利を確信して宴を張っていたところを、南方の敵を撃退して急遽北上してきた将軍エアルニル率いるゴンドール南軍および北軍の残党が急襲。

馬車族は撃滅され、逃げ延びた者達も死者の沼地に追い落とされて殲滅されます。

戦後、フィーリエルの夫であるアルヴェドゥイがゴンドールの王位を要求しましたが、これは執政ペレンドゥアらの意見によって退けられます。

その結果、ゴンドール王家の出であり馬車族を退けた将軍エアニアルがゴンドールの王位を継承しました。

 

・32代目 エアルニル二世 1945~2043年

元々は将軍であり剛勇の人物ですが、思慮分別を持ち合わせる賢明な人物でもあったそうです。

アルヴェドゥイの要求を退けられて王位についたエアルニルですが、エアルニル及びゴンドールと、アルヴェドゥイ及びアルセダインの関係が険悪だったというわけではなく、「予は貴国が必要とされる時には、可能な限り、援軍を送るつもりでいる。」とアルヴェドゥイに伝えました。

そして1973年の秋、アルセダインが危急存亡の時にあり、アングマールが最後の攻撃を加えるべく準備中であるとの報せがエアルニルの許に届きます。

エアルニルは約束通り、割ける限りの兵力を船に乗せてできるだけ速やかに北方へ送りましたが、ゴンドールも度重なる災いからの復興の途上にあり、その援軍は時期を逸していました。

1974年の冬が終わる前にアングマールはアルセダインを襲ってその国土を席捲。

フォルンオストを占領し、ドゥーネダインの残党をルーン川の西へ追いやり、アルセダイン最後の王アルヴェドゥイはフォロヘルに逃れた末に命を落としました。

エアルニルから援軍を任された息子のエアルヌアは、1975年にようやくリンドンに上陸。

キーアダンはリンドンから集められる限りの者を集め、さらにその下にはアルノールの残党も集結します。

全ての準備が整うと、西軍はアングマールの魔王に挑戦するべく、彼が占領するフォルンオストを目指し、ルーン川を越えて北へ進軍します。

進軍してくる西軍に対し、魔王は増上慢を嵩じさせ、敵が本拠にやってくるをの待たずフォルンオストから出撃。

これに対して西軍はイヴンディム丘陵から襲いかかり、両軍はネヌイアル湖と北連丘の間の平原で激突します。

アングマール軍は劣勢であり、フォルンオストに向かって退却しようとしたところを北連丘から周ってきたゴンドールの騎兵主力部隊に北から攻め下られ、さんざんに敗退。

魔王は敗残兵を集めるとカルン・ドゥームに向かって逃走を試みますが、エアルヌア率いる騎兵部隊が再び彼に追いつき、さらに裂け谷からはグロールフィンデル率いる軍勢が出撃してきました。

挟撃されたアングマール軍は完全に殲滅され、エリアドールにその国人は一人として残らなかったといいます。

アングマールの軍勢が全滅した時、魔王その人がエアルヌアの前に現れて彼を襲おうとしました。

エアルヌアは立ち向かおうとしますが、彼を運ぶ馬が恐怖に駆られて彼を遠くに運び去ってしまいます。

そこでグロールフィンデルが魔王に向かっていくと、魔王は再び逃走に転じ、夕闇にまぎれて姿を消します。

こうしてアングマールは滅ぼされました。

しかし魔王以外のナズグールは健在で、2000年にはナズグールがモルドールから出撃して、ミナス・イシルを包囲攻撃します。

そして2002年にナズグールはミナス・イシルを陥落させて占領し、ナズグールの手に落ちたミナス・イシルは甚だしい恐怖の場所へと変貌し、ミナス・モルグルと呼ばれるようになりました。(その恐怖に対峙するミナス・アノールはミナス・ティリスに改称されました)

 

・第33代目 エアルヌア 2043~2050年

武芸にのみ喜びを見出す性格で、王というよりは闘士に見えたという剛勇の人物。

父エアルニル二世の死によってエアルヌアがゴンドールの王位を継ぐと、魔王は彼を「北方の戦いでは自分の前に立つこともできなかったではないか」と挑発して一騎打ちを申し込んできました。

この時は執政マルディルがエアルヌアを制止します。

しかし7年後に再び魔王が「若年の頃の意気地のなさに今では老齢の弱気を加えていると」嘲りを重ねると、今度はマルディルもエアルヌアを止めることはできませんでした。

エアルヌアは王冠を父の亡骸の膝の上に置くと、僅かな供回りの騎士のみを連れてミナス・モルグルに向かい、そのまま戻りませんでした。

ゴンドールではエアルヌアは敵の罠にかかり、ミナス・モルグルで責め苛まれて死んだと信じられました。

エアルヌアは妻を娶らず、子も残しませんでした。

そしてすでに王位を主張できるだけの有力者は残っておらず、同族の争いのような内乱の再発を恐れたゴンドール人は王の選出を諦め、以来ゴンドールは執政によって「王還りますまで」統治されることになりました。

 

ゴンドールの統治権を持った歴代の執政について、に続く

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