ゴンドールの歴代王族について、の続きとなります。
エアルヌアの死後、ゴンドールは王が不在となり、執政が国を統治することになります。
今回はゴンドールの統治権を持った歴代の執政についてまとめます。
・初代 マルディル・ヴォロンウェ 2050~2080年
名はクウェンヤで「家(王家)に献身的な(devoted to the house)」の意。
クウェンヤで「揺るぎなき(the Steadfast)」の意であるヴォロンウェと合わせてマルディル・ヴォロンウェとも呼ばれました。
彼の統治時代の2063年にガンダルフがドル・グルドゥアに潜入。
当時まだ力を取り戻していなかったサウロンは、自らの正体が露見するのを恐れて東に逃れ、以後警戒的平和が始まります。
そのため初期の統治権を持つ執政たちは平穏な時代を過ごすことが出来ました。
・2代目 エラダン 2080~2116年
目立った記述無し
・3代目 ヘリオン 2116~2148年
目立った記述無し
・4代目 ベレゴルン 2148~2204年
目立った記述無し
・5代目 フーリン一世 2204~2244年
目立った記述無し。
・6代目 トゥーリン一世 2244~2278年
ゴンドールの貴人としては珍しく、二度結婚して複数の子を儲けます。
しかし息子は末子のハドルのみでした。
・7代目 ハドル 2278~2395年
記録上ではゴンドール人の中で150歳の長寿を誇った最後の人間で、彼以降のゴンドールのドゥーネダインの寿命は急速に短くなっていきました。
・8代目 バラヒア 2395~2412年
目立った記述無し
・9代目 ディオル 2412~2435年
ディオルは子を残さなかったため、ディオルの死後は、彼の姉妹リーアンの息子であるデネソール一世が執政職を継ぎました。
・10代目 デネソール一世 2435~2477年
マルディルの代から続いていた警戒的平和は、デネソールの時代の第三紀2460年に終わり、力を増したサウロンがドル・グルドゥアに戻ります。
晩年の2475年にゴンドールはモルドールの攻撃を受け、息子のボロミアが敵との戦いにあたりました。
・11代目 ボロミア 2477~2489年
端正な顔立ちの、心身ともに強固な人物として知られ、指輪の仲間の一人であるボロミアの名は、この人物に由来します。
父デネソール一世の統治時代の第三紀2475年に、モルドールから初めて出現したウルクがイシリアンに侵入し、オスギリアスを攻め落とします。
それに対してボロミアはゴンドールの大将として戦い、敵を撃破してイシリアンを奪回。彼のことは、魔王でさえ恐れたといいます。
しかし、このときの戦いによってオスギリアスは完全に廃墟となり、以降人は住まなくなります。
また、ボロミア自身もモルグルの傷を負って寿命を縮める事になりました。
・12代目 キリオン 2489~2567年
2509年にキリオンはゴンドールに対する北からの大規模な攻撃が計画されていることを知ると、急ぎ援軍を要請する伝令をエオセオドの若き王エオルの許に派遣します。
バルホス族とオークの侵攻により、ゴンドールは存亡の危機に陥りますが、エオル率いるエオセオドの援軍に救出され、ゴンドールは難を逃れます。
キリオンはその謝礼としてエオルにカレナルゾンを割譲し、同地にローハンが建国されました。
・13代目 ハルラス 2567~2605年
2510年のケレブラントの野の戦いの時は、当時の執政である父キリオンからミナス・ティリスの留守を任されていました。
カレナルゾンへ移住してきたエオセオドの民を指すロヒアリム、及び彼らの国名のローハンはハルラスが考案した名前です。
・14代目 フーリン二世 2605~2628年
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・15代目 ベレクソール一世 2628~2655年
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・16代目 オロドレス 2655~2685年
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・17代目 エクセリオン一世 2685~2698年
2698年に白の塔を再建し、同年に死去します。以降、白の塔はエクセリオンの塔とも呼ばれるようになりました。
エクセリオン一世に子はいなかったため、次代の執政は、叔母モルウェンの孫であり、エクセリオン一世の従兄弟違いにあたるエガルモスが継ぎました。
・18代目 エガルモス 2698~2743年
エガルモスの統治時代に、オークとの戦いが再開されるようになりました。
・19代目 ベレン 2743~2763年
2758年にゴンドールはウンバールとハラドの三つの大艦隊(海賊)に攻撃されます(大侵略)。
この時の危難は、ケレブラントの野の戦いを凌ぐものであったといい、そのためゴンドールは、より深刻な状態にあったローハンにすぐには援軍を出すことができませんでした。
ベレンの息子ベレゴンドはゴンドールの大将として戦い、翌年の春が来る前に海賊を撃退し、すぐさまローハンに援軍を送ります。
ベレゴンドから送られたゴンドールの援軍にも助けられ、ローハンも救われますが、多大な損害を受けます。
そのためベレンはサルマンを味方と思い(恐らく最初は本当にそうだった)、2759年に彼にオルサンクの鍵を与えてアイゼンガルドを託しました。
・20代目 ベレゴンド 2763~2811年
ボロミア以来の最も偉大な大将と言われ、大侵略を退けた後に執政に就任。
彼の統治時代に霧ふり山脈ではドワーフとオークの戦争(2793~2799年)が行われ、ナンドゥヒリオンの合戦(2799年)を逃れたオークたちは南下して白の山脈に居を定めようとしました。
そのためローハンやゴンドールの谷間地方では何年もの間、オークとの戦闘が発生しました。
・21代目 ベレクソール二世 2811~2872年
彼が死んだ時、ゴンドールの白の木も枯れました。既に王統は絶えており、新たな実生の若木が見つからなかったため、枯れた木は「王還ります時まで」そのまま噴水の庭に残されました。
彼の時代にサルマンは一つの指輪への執着やガンダルフに対する密かな妬みや恐れから堕落が始まります。
・22代目 ソロンディア 2872~2882年
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・23代目 トゥーリン二世 2882~2914年
彼の統治時代に、ゴンドールはサウロンによる攻撃を受けます。
まずサウロンの密使に扇動されたハラドリムがハロンドールを占領し、ポロス川沿いで戦闘が多発しました。
2885年にはハラドリムの大軍がポロス川を渡ってイシリアンへ侵攻しましたが、これはローハンの王フォルクウィネが派遣したロヒアリムの援軍の助けを得て、ポロスの渡しで撃退します。
しかしフォルクウィネの息子のフォルクレドとファストレドは戦死したため、トゥーリン二世はフォルクウィネに報償として多量の金(gold)を贈りました。
その後2901年にイシリアンはモルドールのウルクの襲撃を受け、残っていた住民もほとんどがアンドゥインの西側へ移住を余儀なくされます。
この際、トゥーリン二世はイシリアンの各所に兵士たちの為の隠れ家を作らせました(その中で最後まで残ったのがヘンネス・アンヌーンです)
また彼はアノリアンへの攻撃を警戒して、カイア・アンドロスの防備を強化しました。
・24代目 トゥアゴン 2914~2953年
彼の統治時代の2941年がホビットの冒険の舞台となった年です。
また晩年の2951年に、サウロンがモルドールに帰還して公然と名乗りをあげ、バラド=ドゥーアの再建を始めました。
サウロンの二度目の勃興によって、オークは山中で数を増やし、トロルは武装して悪賢くなり、東方では東夷の諸族が、南方ではハラドリムの諸侯が再びサウロンに臣従を誓います。
ウンバールの海賊は、モルドールと公然と同盟し、アル=ファラゾーンのサウロンに対する勝利の記念碑を破壊しました。
こうしてかつてサウロンに仕えていた邪悪なものたちが再びモルドールの名の下に集結するようになり、中つ国には再び影が広がっていきました。
さらにサウロンはナズグールのうち三人を遣わしてドル・グルドゥアを再占領します。
・25代目 エクセリオン二世 2953~2984年
モルドールの襲撃に備えて国の防備を強化し、出自を問わず様々な人物を登用して、優秀な人材であれば重用したため、叡智の人と呼ばれました。
その中で最も優れていたのが、以前にはローハンのセンゲル王に仕えていたソロンギル(アラゴルン二世)でした。
エクセリオンは彼の忠告を受け、小艦隊をウンバールに派遣する許可を彼に与えます。
その結果、ソロンギルはウンバールの海賊の船の大半を破壊し、僅かな損失のみで撤収に成功するという大勝利を上げ、ゴンドール南部沿岸地方の危険が大幅に軽減されました。
しかしソロンギルはこの勝利からゴンドールへ凱旋することはせず、そのままひとり姿を消します。
当時のゴンドール人はこれを重大な損失と見なし、彼の競争相手すなわちデネソールが主君(執政)となる前に自ら去ったのだと考える者もいました。
一方のデネソールはソロンギルの正体に勘付いており、自らの地位を脅かす者として警戒していたといいます。
・26代目 デネソール二世 2984~3019年3月15日
非常に自尊心が高く、他者にも自身にも厳しい性格でしたが老練かつ賢明であり、ゴンドールの伝承に通じ、賢王の風格を備えていました。
デネソールの若年期にサウロンがモルドールに帰還し、その脅威はいよいよ大きなものとなっていました。
父エクセリオンはゴンドールの助けとなる者なら誰であれ重用し、わけてもソロンギルと呼ばれる北からやってきた武将は陸海で活躍、ゴンドールの大将として人々の名望を集めていました。
当時すでにデネソールは老練さと賢明さを備えていたのみならず、剛勇にも優れた武人でしたが、父からも周囲からも常にソロンギルに次ぐ者と見なされていました。
ソロンギルの正体はイシルドゥアの世継である北方の野伏の族長アラゴルン二世でしたが、デネソールは当時からその正体に気付いており、自身の立場を脅かす者として大いに警戒していたといいます。
やがてソロンギルは異国へ去りましたが、いずれ執杖を受け継ぐデネソールの競争者となるのを避けたのだと考える者が多かったそうです。
ソロンギルが去った四年後にエクセリオンが死ぬと、デネソールは執政位を継承してゴンドールの実質的な統治者となりました。
執政となったデネソールは、老練な支配者として知られるようになります。
彼は賢明でしたが頑迷でもあり、助言には耳を傾け、しかるのち自らの思いに従って物事を決めていました。
彼の代にガンダルフはゴンドールでほとんど歓迎されなくなりましたが、これはソロンギル(アラゴルン)と親しいガンダルフをデネソールが警戒したためでした。
しかし下の息子のファラミアはガンダルフを敬愛し彼に師事したため、デネソールの不興を買います。
デネソールとファラミアは西方の血が強く発現しており、遠くを視ることも、人の心を読み取ることもできました。
特にデネソールは遠方の物事を詳細に見知ったために人々から驚嘆されましたが、後にわかったようにそれはパランティーアの使用によるためでもありました。
自らの代にモルドールから攻撃が加えられると予見したデネソールは、ミナス・ティリスを守るランマス・エホールの防壁を再建・強化させるとともに、イシリアンの遺民を募ってイシリアンの野伏を編成し、かの地での偵察と遊撃の任務に当たらせます。
上の息子のボロミアは西方の血をほとんど発現していませんでしたが、剛勇に優れた大将としてゴンドールを防衛し、人々の支持を一身に集めていました。
そしてそんなボロミアをデネソールは他の何にも増して愛しました。
デネソールは即位後まもなくから、広がりゆくモルドールの影の脅威と、自尊心の高さから、それまでの執政があえて試みなかったパランティーアを密かに使用するようになりました。
彼はアノールの石を通じてイシルの石を持つサウロンと戦い、国内外の情報を集めます。
しかしパランティーアの使用とサウロンとの戦いは、頑強な精神の持ち主であるデネソールをも消耗させ、彼はドゥーネダインにしては異例なほど早くに老け込んでいきます。
サウロンはデネソールを支配することはできなかったものの、映し出す映像を捻じ曲げることで実際以上にモルドールの戦力を強大に見せ、デネソールを次第に絶望に追いやっていきます。
妻のフィンドゥイラスは早逝しますが、一つには心優しい彼女がそれに気付き、心を痛めたためであったといいます。
ボロミアに次いで妻を愛していたデネソールはフィンドゥイラスの死後、ますます頑迷になっていきました。
ついには自分に仕えるのでなければ何者も信用せず、戦の趨勢はすべて自らとサウロンとの精神の対決の結果もたらされるものと信ずるに至ります。
大いなる年の3018年、サウロンはいよいよ大兵力でもってゴンドール攻撃を開始し、指輪戦争が始まります。
オスギリアスはボロミアとファラミアによって辛うじて防衛されましたが、やがてファラミアが夢の中で繰り返し謎のお告げを受けるようになります。
デネソールはその言葉の内、「イムラドリス」が裂け谷を指す古称であることのみを兄弟に教えます。
そのためファラミアはお告げの謎解きを乞うため裂け谷を求めて旅立とうとしましたが、危険であるとしてボロミアが代わって志願します。
デネソールもファラミアもこれに反対したものの、ボロミアの決意を変えることはできず、ボロミアは裂け谷で指輪の仲間に加わった末、パルス・ガレンで命を落とします。
ボロミアが最後に吹き鳴らした角笛の音は、はるか遠くのゴンドール領内にいたデネソールとファラミアの耳にまで届いたと言われており、後に二つに割れた角笛がアンドゥインで発見され、手許にもたらされたことで、デネソールはボロミアの死を悟ります。
やがてモルドールによるミナス・ティリス包囲が近づき、デネソールは七つの烽火山に点火してローハンの救援を求めるとともに、ドル・アムロスをはじめとする辺境の諸侯国から援軍を呼び寄せます。
城下の人々は疎開させられてミナス・ティリスは戦時体制となり、デネソール自身も率先して質素な食事を執り、常時鎖帷子と剣を身に帯びる武装した生活を送りました。
ボロミアの死の真相は、指輪の仲間の一人であったペレグリン・トゥックがガンダルフに連れられてやってきたことで明らかとなります。
しかしデネソールは息子を失った悲しみすら手段として使い、ペレグリンの心から一つの指輪の行先やアラゴルン二世の到来をも読み取ります。
しかしペレグリンは、ボロミアに命を救われた恩に報じるためデネソールに奉公を申し出る気高さを見せ、冷えて頑なになっていたデネソールの心をも感動させます。
デネソールはペレグリンの奉公を嘉納して城塞の近衛兵としてそばに置き、彼なりに優しい態度でペレグリンに接しました。
しかしボロミアの死を惜しむデネソールは、ファラミアに対してはいよいよ冷淡かつ過酷に接するようになります。
モルドールから出撃した大軍によってアンドゥインの通行権が危機に陥ると、デネソールはファラミアをアンドゥイン防衛のための望みない戦いに赴かせます。
そのためファラミアは負傷し、黒の息に侵され、高熱で意識不明のまま都に帰還します。
瀕死の息子を目にしたデネソールは、ようやく自分が心の奥底でファラミアを愛していることを悟りました。
一人残った息子が瀕死に陥ったことで、強靭なデネソールの精神もついに挫け、さらにデネソールは気力の弱った状態でパランティーアを使用し、サウロンに捻じ曲げられて実態以上に強大に見せかけられたモルドールの軍勢の映像を目撃して絶望、ついに狂気に陥ります。
デネソールは臥せるファラミアと共に白の塔に引きこもってペレンノール野の合戦の指揮を放棄し、やがてペレグリンを侍従の任から解くと、ラス・ディネンの執政の廟に赴いて意識不明のファラミアを巻き添えにした焼身自殺を図りました。
これはゴンドールの近衛兵ベレゴンドの抵抗によって遅らせられ、ついにペレグリンに連れられてガンダルフが現場に到着したことでファラミアは救出されます。
するとデネソールはパランティーアの秘密を明かして自由の民には希望など残されていないと示し、ガンダルフを自分から統治権と息子と臣下の全てを奪っていく者だと見なすと、執政の杖を折り、燃え盛る薪の上に身を横たえて命を絶ちました。
デネソールはアノールのパランティーアを抱えたまま焼身自殺し、以後この石は非常に強い意志の持ち主によらなければ、火の中で焼けて萎びていく老人の手しか映らなくなったといいます。
ゴンドールの執政職は回復したファラミアが継ぎ、彼の下で王の帰還がなされたため、デネソールは実質的なゴンドールの統治権を持った最後の執政となりました。
・27代目 ファラミア 3019年3月15日~5月1日
物腰穏やかで伝承の学と詩歌を愛する聡明な人物。しかし決して臆病ということはなく、戦いにおいて必要とあらば勇敢さを示しました。
控え目な性格のため、周囲の評価ではボロミアに比べて見劣りする面もありましたが、国民からの信頼は厚く、ファラミア自身も決して兄を妬むことはなく、兄弟の間には強い信頼と愛情がありました。
しかし父のデネソールからは冷淡かつ過酷に接せられることが多く、内心ファラミアは父の愛情を求めていました。
また西方の血が強く発現していたらしく、常人よりはるかに明敏な感覚を持ち、人の心を読み取ることができました。
指輪戦争が起こると、ファラミアは謎のお告げが出てくる夢を繰り返し見るようになります。
一度はボロミアも同じ夢を見ましたが、兄弟にはこの夢の言葉の意味がわからず、ただデネソールがお告げの中にある「イムラドリス」とは賢者エルロンドが住む北方の隠れ里の古称であることを教えてくれただけでした。
ファラミアは謎の答えを求めてイムラドリスを捜す旅に出ようとしましたが、ボロミアがその危険な旅を買って出て、代わりに旅出ちます。
そのままボロミアはイムラドリス(裂け谷)で指輪の仲間の一員となりましたが、ゴンドールへの帰還は果たせず、パルス・ガレンで命を落とします。
この時、ファラミアは彼の吹き鳴らした角笛の音を聞いたように思いました。
さらにその3日後の2月29日の夜半、アンドゥインの岸辺でボロミアの亡骸を載せた小船が大海へ運び去られていくのに対面し、彼の死を悟ります。
ボロミアが戻らなかったため、ファラミアはオスギリアスおよびカイア・アンドロスを拠点にアンドゥインの防衛を続けていました。
3019年、ファラミアはモルドールの召集に応えて北上してくるハラドリムの部隊を要撃するため、イシリアンに派遣されます。
そこでモルドールへ潜入する道を捜していたフロド・バギンズとサムワイズ・ギャムジーに遭遇します。
ファラミアは彼らをヘンネス・アンヌーンまで連行して取り調べますが、始終丁重に扱うなど高潔な人柄を示します。
わけても一つの指輪の存在を知り、それをボロミアが欲したことに気付きながらも、一つの指輪の危険性を正しく認識してそれを目にすることも触れることも望まなかったことで、二人の信頼を勝ち得ます。
フロドの指輪滅却の任務を知ったファラミアは彼に協力し、死罪になるはずだったゴクリの命を助け、ミナス・ティリスへ連行する決まりになっていた三人を釈放すると、援助と祝福を与えて送り出しました。
その後モルドールから暗闇が流出しはじめたことで開戦を悟ったファラミアは、父に事態を報告するために危険を冒してナズグールの影の下を通り、ミナス・ティリスに戻ります。
しかしデネソールはファラミアが独断でフロド達を釈放し、みすみす一つの指輪を敵地へ送り込んだことに激怒。
帰還の翌日、デネソールが諸卿にオスギリアスの防衛を求めると、ファラミアは亡きボロミアの代わりとして、この過酷な要求を引き受けます。
そのため休む間もなくオスギリアスへ出陣することになりました。
しかし奮戦も敵わず、モルドールの大軍はオスギリアスを奪取してアンドゥインの渡河を開始。
加えて飛来したナズグールのもたらす恐怖のために部隊は潰走し、ファラミア自身もハラドリムの矢を受けて高熱と昏睡状態となり、都に運び込まれる事態となります。
瀕死のファラミアを見てようやく息子への愛を自覚したデネソールでしたが、悲嘆と絶望のあまり狂気に陥るに至り、ファラミアともども焼身自殺を図ります。
デネソールは自殺を遂げますが、ファラミアはベレゴンドとペレグリン・トゥック、そしてガンダルフによって救出されました。
父の死によりファラミアは執政の職を受け継ぐ立場になりましたが、依然として意識は戻らないままでした。
ファラミアは長くナズグールの影の下にいたために黒の息に冒されており、意識が戻らないのはその影響によるものでした。
療病院に運ばれたファラミアは、そこでアラゴルン二世のアセラスを用いた治療を受け、意識を呼び戻されます。
その時アラゴルンを認めたファラミアは、彼を王と認め、忠誠を誓います。
そのまま療病院に留まっていたファラミアは、そこで同じく黒の息から救われたエオウィンに出会い、彼女に惹かれるようになります。
ファラミアは生きる望みを失っていたエオウィンに希望を与え、二人は愛し合うようになります。
そうして二人は共にサウロンの没落を迎えます。
統治権を持つ執政としてファラミアが行った最後にして唯一の職務は、王の帰還を受け入れることでした。
ミナス・ティリスの大門の前で執り行われたエレスサール王の戴冠式を司ったファラミアは、エレスサール王によって改めて執政に任じられます。
エレスサール王は、執政ファラミアをイシリアンを治めるイシリアンの大公に封じ、ファラミアは執政家の父祖の地であるエミン・アルネンに住まいます。
ファラミアはエオウィンと結婚し、息子のエルボロンを儲けます。
その後第四紀82年、120歳で没しました。
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