ドワーフの氏族は7氏族に分かれますが、作中に登場するドワーフのほとんどがドゥリンの一族と呼ばれる長鬚族です。
なのでこのドゥリンの一族についてまとめてみます。
ドゥリンの一族はその名の通りドゥリンを父祖としています。
ドゥリンはドワーフ7氏族の父祖である7人の父祖の最長老でもありました。
非常に長寿だったことと、彼の世継ぎの中に彼とそっくりな者が何度も生まれたため、不死のドゥリンの名で知られます。
不死のドゥリンは星々の時代に単身で目覚めます。
ドゥリンは中つ国を放浪し、やがておぼろ谷にやってきてケレド=ザラムの湖面を覗き込んだ時に王位につく幻影を見ます。
そこでケレド=ザラムの上にある洞窟にカザド=ドゥーム(モリア)の王国を築きました。彼は上古が過ぎ去る前に死に、その墓所はカザド=ドゥームに作られました。
その後長鬚族の王位を継いだ人物についてははっきりしていません。次に長鬚族の王として名前が出てくるのはドゥリン三世。
第二紀の人物で、ドワーフに与えられた七つの指輪のうちの一つを最初に手にした人物です。
次に歴史に登場するのが第三紀の1980年まで王位にいたドゥリン六世。
彼の時代にバルログがモリアで目覚め、ドゥリン六世はモリアで目覚めたバルログに殺されました。そのため、このバルログは「ドゥリンの禍」と呼ばれるようになります。
次に王となったのは第三紀1980~1981年のナイン一世。
ドゥリン六世が殺されたあと、モリアの王となりますが、ナイン一世も翌1981年にバルログに殺されました。
以後モリアのドワーフ達は、殺されるか各地へ四散します。
次代は第三紀1934~2190年のスライン一世。
彼は他のドワーフとともにモリアから逃亡した後、1999年にエレボールに山の下の王国を築き、山の下の王となります。アーケン石を発見したのも彼です。
次代は第三紀2190~2289年のトーリン一世。
彼は父スライン一世が築いたはなれ山の王国から、灰色山脈へ移住します。
当時の灰色山脈はあまり開発が進んでおらずミスリルを掘るのに都合がよく、またドゥリンの一族の多くも集っていたからです。
そこから第三紀2136~2385年のグローイン、第三紀2238~2488年のオイン、第三紀2488~2585年のナイン二世は特に目立った記述はなし。
次代は第三紀2585~2589年のダイン一世。
彼は灰色山脈を統治していましたが、そこを襲った冷血竜によって次男のフロールと共に自分の館の入り口で殺されます。
その後ドゥリン一族の王位は長男のスロールが継ぎ、その弟のグロールはくろがね連山へ移住しました。
次代は第三紀2589~2790年のスロール。トーリン・オーケンシールドの祖父にあたります。
ダイン一世が殺された時、スロールは叔父のボーリンと共に灰色山脈を脱出して父祖の地であるエレボールに戻ります。
そしてスロールの治世に山の下の王国は歌に歌われる大きな繁栄を迎えました。
しかしその繁栄を聞きつけたスマウグによって2770年に王国は滅ぼされ、スロールはまたも父祖の地を追われることになります。
彼は息子スラインと孫トーリン、そして少数の縁者と忠実な従者と共に放浪し、褐色人の国に一時住まったようです。
やがて老齢と貧困に苦しめられたスロールは、スラインにエレボールの秘密の入り口を示した地図とその鍵、そして最後の宝である七つの指輪の一つを譲り渡すと、自分は従者のナルだけを連れて一族のもとを去り、無謀にも遠祖の地であるモリアに単身帰還しようとします。
これは悲運と放浪のために頭がおかしくなっていたとも、指輪に込められたサウロンの悪意の影響とも言われています。
ナンドゥヒリオンにやってきたスロールは、引き止めるナルを置いてモリアの東門から中に入っていきますが、彼はアゾグに殺され、その首は切断されて烙印を押され、遺体は烏の餌食にされました。
ナルによって届けられたこの非業の死の知らせはスラインのみならず全ドワーフを激怒させ、ドワーフとオークの戦争の発端になります。
次代は第三紀2790~2850年のスライン二世。トーリン・オーケンシールドの父です。
父スロールの死の報せを聞いたスラインは大いに悲憤し、ドワーフの七氏族に使者を送って一大連合軍を招集し、霧ふり山脈のオークに戦争を仕掛けました。
最後の決戦となったナンドゥヒリオンの合戦においてドワーフの連合軍は勝利を収めましたが、彼らが払った犠牲も大きく、スライン自身も片目と片足を負傷し、モリアを奪回する望みも叶いませんでした。
スラインは再び褐色人の国を放浪する生活に戻りますが、やがて2802年、エリアドールの先の青の山脈に居を構えます。
しかしスロールから受け継いだ力の指輪がもたらす悪影響のため、スラインは黄金への渇望に苛まれるようになり、ついには僅かな従者を連れて2841年、エレボールを求める旅に出ました(その従者の中にはバーリンとドワーリンもいました)。
そして一行は死人占い師(後にサウロンだと判明する)に目をつけられ、闇の森でスラインは一人消息を絶ちます。
その後2845年、彼はドル・グルドゥアに連行されて拷問を受け、最後の指輪も奪われました。
そのままドル・グルドゥアの土牢に放置されていたスラインを、2850年に同地へ潜入したガンダルフが発見します。
スラインは指輪のことを口走るばかりで自分の名前も忘れてしまっていましたが、最後にスロールの地図とエレボールの鍵をガンダルフに託すと「息子へ」と言い残して息絶えました。
次代は第三紀2850~2941年のトーリン・オーケンシールド。ホビットの冒険の中心的な人物です。
父スラインの死と共に長鬚族の王位を継承。青の山脈に館を築いて徐々に一族と富の数を増やしていきます。
しかしトーリンの心中からスマウグへの復讐の念が絶えることはなく、奪われた父祖の財宝を取り戻したいとの思いに心は燃え立っていました。
そんな中、第三紀2941年3月15日、旅から帰る途中ブリー村に立ち寄ったトーリンは、そこで偶然ガンダルフに出会います。
エレボールを奪回したいトーリンと、スマウグを排除したいガンダルフの思惑が一致したことで、トーリンはガンダルフを青の山脈の自分の館に招いて遠征への助力を依頼します。
当初トーリンは、軍を起こしてスマウグに公然と戦いを挑むことを考えていましたが、ガンダルフは北方の情勢悪化の裏には死人占い師(サウロン)の悪意があることを見通しており、その妨害を避けるためにも隠密行動を選ぶべきであると提案。
それに役立つ忍びの者としてホビットのビルボ・バギンズを同行させるよう主張します。
当初トーリンは、ガンダルフの計画に懐疑的であり、ビルボを連れていくことにも反対でした。
しかしその夜、ガンダルフはドル・グルドゥアで今際のスライン二世から預かっていた、エレボールの秘密の隠し戸の在処を示す地図とその鍵を明らかにします。
地図と鍵を受け取ったことで、ようやくトーリンはガンダルフを信用し、彼の計画に乗って遠征を行うことを決意。
エレボールの財宝の14分の1を報酬に、ビルボを忍びの者として正式に雇い入れます。
トーリン・オーケンシールドをはじめとした13人のドワーフ(ドーリ、ノーリ、オーリ、バーリン、ドワーリン、フィーリ、キーリ、オイン、グローイン、ビフール、ボフール、ボンブール)と、忍びの者ビルボ・バギンズ、そして魔法使いガンダルフは、第三紀2941年4月のある朝、エレボール(はなれ山)への遠征に出発します。
当初、ビルボに対しては尊大に接し、忍びの者として雇ったことを理由にことあるごとに厄介事を押し付けました。
しかし彼を見捨てることは一度もなく、やがてビルボが真価を発揮して一行の危機を何度も救うようになると、厄介事を押しつける姿勢はそのままながら彼を非常に高く評価し、信頼を寄せるようになります。
エレボールにたどり着いて財宝を検分した時、トーリンは感謝のしるしとしてビルボに白銀色の鎖帷子を贈りました(これはミスリル製であり、後にそのことを知ったギムリは「王者の贈り物」と評しています)。
しかしトーリンは父祖の財宝、特にアーケン石に固執しており、スマウグが弓の名手バルドに討たれると、財宝を巡ってトーリンの一党とバルドの一派との間で諍いが起きるようになります。
バルドは谷間の国の領主ギリオンの末裔であり、トーリン達が見出した財宝の中には元来は谷間の国のものである物も含まれていました。
そのためバルドはその分け前を要求すると共に、スマウグによって壊滅した湖の町の復興への援助を要請します。
しかしバルドが自分たちを捕らえた闇の森のエルフ王と行動を共にしていたことで、トーリンは態度を硬化させ、さらに事態を打開しようとしたビルボが隠し持っていたアーケン石をバルド側に渡したことが判明すると、トーリンは激怒してビルボを追放。
ますます態度を硬化させたトーリンはエレボールの廃墟に籠城し、くろがね連山のダイン率いるドワーフの援軍を呼び寄せ、一戦交えてでも石を含めた全ての財宝を我が物にしようとしました。
しかしそこにゴブリンとワーグの軍勢が到来したことで、バルド・エルフ王とダインは急遽停戦して共同戦線を張り、五軍の合戦が始まります。
数で勝るゴブリン・ワーグ軍に、人間・エルフ・ドワーフ軍は劣勢となりますが、ついにトーリンは財宝への執着を断ち切って籠城を止め、山の下の王として12人の仲間達と共に撃って出ることで戦いの流れを変えました。
トーリンは致命傷を負いましたが、結果として人間・エルフ・ドワーフ軍は勝利を収め、北方の諸種族の間に蒔かれた遺恨は取り除かれました。
戦いの後、今際のきわにあったトーリンはビルボと再会。ビルボに謝罪の言葉を述べ、和解して亡くなります。
トーリンはエレボールの奥深くに葬られ、その胸にはバルドによってアーケン石が抱かされ、その墓所にはエルフ王によってオルクリストがささげられます。
山の下の王には、トーリンにとって又従兄弟にあたるダイン二世が即位しました。
次代は第三紀2941~3019年3月17日のダイン二世。
ダイン二世はグロールと共にくろがね連山に移り住んだ後、父ナインと共にドワーフとオークの戦争にも参戦しています。
決戦となるナンドゥヒリオンの合戦において父ナインはアゾグに挑戦して殺されますが、ダインは逃げるアゾグの後を追いかけてこれを討ち取り、父と大伯父の仇を取るという大変な武勲を立てました。
しかしこの時、モリアの東門に足をかけたダインはバルログの脅威を感じ取ったらしく、華々しい手柄を立てた直後にも関わらずその顔は恐怖に襲われた者のように土気色をしていたといいます。
そのため、スロールの息子のスライン二世が勢いに乗じてモリアを奪回しようと呼びかけた時にもこれを諌め、ダインは郎党を引き連れてくろがね連山に戻りました。
その後トーリン・オーケンシールドから援軍の要請を受け、五軍の合戦にも参戦。
この戦いでトーリンは戦死し、トーリンの甥であったフィーリとキーリも戦死したため再興された山の下の王国はダインが継ぐこととなり、彼は長鬚族の王となりました。
山の下の王となったダインは、トーリンの遺言とビルボの意向を尊重し、エレボールの財宝の14分の1をバルドに分け与えます。
こうしてダインの下で山の下の王国は、再建された谷間の国やエスガロス、闇の森の王国との友好関係を確立し、昔日の繁栄を取り戻しました。
しかし第三紀2989年、若者たちの意を受けたバーリンが賛同者を引き連れてモリア再興のために旅立とうとします。
ダインはこれに反対したものの、彼らを引き留めることはできず、結果バーリン一党は行方不明となります。
そして3017年、モルドールからの使者がダインのもとに現れ、サウロンがビルボ・バギンズと彼の持つ小さな指輪を捜しており、捜索に協力するよう暗に脅迫されます。
ダインはこれに一切の返答をしませんでしたが、大きな懸念を抱きました。
そこで第三紀3018年(大いなる年)、グローインとその息子ギムリを裂け谷に派遣し、ビルボへ警告を伝えるとともにエルロンドの助言を仰ぎました。
指輪戦争において山の下の王国と谷間の国はモルドールへの臣従を拒んだため、サウロンの意を受けた東夷の攻撃を受けます。
3019年の谷間の国の合戦においてドワーフと谷間の国の人間はエレボール山中に籠城して抵抗。
この時、谷間の国の王ブランドは討ち死にし、ダインは彼の亡骸を守ってエレボールの門前で討ち死にします。
しかしサウロンの没落と黒門の戦いにおける西軍勝利の報せがエレボールに届くと、籠城していたブランドの息子であるバルド二世とダイン二世の息子であるトーリン三世は一転攻勢に撃って出て、動揺をきたした東夷を打ち倒して勝利を収めました。
ダイン二世の死後、山の下の王国の王位はトーリン三世が引き継ぎます。
彼は谷間の国の王となったバルド二世と共にエレスサール王の戴冠式に使節を送りました。
以後、山の下の王国と谷間の国は再統一された王国(ゴンドールおよびアルノール)と長き友好関係を結び、西方の王の庇護下に置かれました。
その後記録に残っているのはドゥリン七世。
『追補編』にある、「グローインの息子ギムリがエレスサール王に説明したエレボールのドワーフの系図」に登場する「現在の王」(last king)として名前があります。
しかしこの「現在」がいつのことなのかははっきりせず、また系図の表記からするとギムリ自身がこのドゥリン七世のことを語っていないため、後世の何者かによる追記である可能性が高いと思われます。
『The Peoples of Middle-earth』には、ドゥリン七世の時代にドワーフがモリアを奪回するエピソードについてのメモが残されています。
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