ホビット庄の話

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ロードオブザリング

ホビットがどうやって中つ国に生まれたのかは、上古の歴史にも登場していないため、はっきりしていませんが、人間の一支族であるのは間違いがないとされています。

記録を遡ると第三紀の初めから中頃にかけてはアンドゥインの谷間の上流域に住んでいたことがわかっており、1050年ごろから西方への移動をはじめ、複数のルートに分かれてエリアドールに入ります。そして1300年頃にはブリー郷にその最古の居住地を築きました。

1601年、アルセダイン王アルゲレブ二世より許可を得て、ブリー郷からマルコとブランコの兄弟に率いられた多くの者がバランドゥイン川より西の土地へ移住し、これがホビット庄の始まりとなりました。

この年がホビット庄暦の紀元とされます。

 

名目上ホビット庄民は北方王国(アルセダイン)の臣民でしたが、彼らに要求されたことは王の主権を認めることと、大橋を含む橋や道路の補修を行って王の使者の移動路を保全することだけであり、庄民は各豪族の族長たちの下、完全な自治を行いました。

ホビット庄の公共業務として、逓信と警備がありました。後者を遂行したのは警察に相当する庄察でしたが、北方王国滅亡後のホビット庄を事実上守っていたのは野伏でした。

ホビット庄唯一の公職に自由市での選挙で選ばれる庄長があり、庄長は二つの公共事業の責任者である郵便局長と庄察長を兼任しました。

またアルセダイン滅亡後には、族長たちの中から王権の代行者であるセインが選出されます。

セインは非常時にのみホビット庄の議会と軍隊を召集する権限を持っていましたが、そのような事態は絶えて久しいため、トゥック一族に継承される名誉職と化しました。

他にホビット庄の枢要な地位として、館主と西境の区長があります。前者は東境であるバック郷の首長の称号であり、バック郷を興したブランディバック一族に継承されました。後者はその名の通り西境の首長であり、髪吉家に継承されました。

 

1637年(庄暦37年)には悪疫によって、ホビット庄でも多くの犠牲者を出します(やみ病大流行)

1975年(庄暦375年)のフォルンオストの合戦に際し、ホビット庄民は王への加勢のため弓兵を送り出したと主張していますが、このことは人間の記録には残っていません。

2340年(庄暦740年)にはオールドバック家のゴーヘンダードがブランディワイン川の東岸に入植し、バック郷を開き、こうして「東境」が新たにホビット庄に加わることになりました。

2747年(庄暦1147年)にはゴルフィンブール率いるオークの一団が庄内に侵入したため、バンドブラス・トゥックが庄民を率いて戦い、オークを撃退します(緑野の合戦)

2758年(庄暦1158年)から2760年(庄暦1160年)にかけて続いた長い冬とそれに伴う飢饉は、ホビット庄の歴史でも最悪の出来事であり、大勢の庄民が命を落とします。

この時、魔法使いのガンダルフが庄民を援助するため来訪し、以後ホビットと親しく交友するようになりました。

2911年(庄暦1311年)の凶年の冬は温暖なホビット庄でも雪が降り、凍結したブランディワイン川を渡って白狼が庄内に侵入しました。

2941年(庄暦1341年)にビルボ・バギンズが13人のドワーフのエレボール遠征に加わり、約一年間ホビット庄から失踪したこと(ホビットの冒険)は、諸国にホビットの存在が知られる契機となります。

そして3018年から3019年(庄暦1418年から1419年)にかけて四人の旅人フロド・バギンズ、サムワイズ・ギャムジー、メリアドク・ブランディバック、ペレグリン・トゥックが指輪戦争に加わって王の帰還に大きく貢献する勲功を上げたこと(指輪物語)で、ホビット庄は再び再統一された王国に編入されました。

指輪戦争ではアイゼンガルドで敗れたサルマンの手の者であるごろつきがホビット庄を一時占拠しましたが、帰庄した旅人たちによって庄民は蜂起し、メリー、ピピンの指揮の下、ホビット側が勝利しました(水の辺村の合戦)

荒らされたホビット庄を復興するため、サムワイズはガラドリエルより贈られた彼女の庭の土を用いて各地で植樹活動を行い、誕生祝いの原にはマルローン樹の種を植えました。

そして翌年の3020年(庄暦1420年)は大いなる豊穣の年と呼ばれるかつてないほどの豊作となり、美しく丈夫で金髪の子供が多く生まれます。

誕生祝いの原ではマルローン樹が初めて開花し、この木は霧ふり山脈の西、大海の東にある唯一のマルローン樹として知られるようになります。

第四紀6年(庄暦1427年)、エレスサール王はホビット庄への人間の立ち入りを禁ずる勅令を出し、同地を北方王国保護下の自由地(Free Land)とします。

31年(庄暦1452年)に王はホビット庄に西境の地を贈与し、多くの庄民が同地に移住しました。

 

中つ国は現在の地球の神話的過去の姿であると設定されており、ホビット庄のほぼ中心にあるホビット村は作者トールキンの住むイギリスのオックスフォードと同じ緯度、経度に設定されています。

また映画ロードオブザリングでホビット庄の撮影が行われた場所は今でも残っており、オークランドなどからツアーが出ています。

以下は私が実際に訪れた際の写真を載せますので、是非機会がありましたら訪れてみてください。

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