ローハンの地理の話(エドラス、角笛城、馬鍬砦)

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ロードオブザリング
映画ロードオブザリングより引用

ローハンの王都はエドラス。

白の山脈の麓、雪白川のそばにある太古の丘の上に築かれ、王の居城である黄金館が建てられました。

黄金館を建造したのはローハン2代目の王ブレゴであり、第三紀2569年に完成しました。

屋根が黄金で葺いてあり、柱も黄金色をした壮麗な館であるため、この名で呼ばれました。

エドラスの丘の麓には、ローハン王の墳墓があり、忘れじ草(シンベルミネ)が咲いています。

塚原の西側にはエオルからヘルムまでの第一家系の王の九つの塚が、東側にはフレアラフからセンゲルまでの第二家系の王の七つの塚があります。

そして指輪戦争でセオデンが戦死すると、彼は新たに築かれた第二家系の八つ目の塚に葬られました。

しかしエドラスは防衛には向かず、有事の際には角笛城や馬鍬砦など山中の砦が避難所として使われました。

 

角笛城は白の山脈の奥谷にあるヘルム峡谷の入り口を守る城で、アイゼンの浅瀬の近くに位置するローハン西部の軍事拠点です。

角笛城の名前は、第三紀2758年の大侵略でこの城に立てこもったヘルムが出撃するときに吹き鳴らした角笛に由来したものです。

ただこの城を建造したのはローハン人ではなく、ローハン建国前からこの地に存在していました。

ローハンではこの城は遠い昔に海の王たちが巨人たちの力を借りて作り上げたと言い伝えられており、実際の伝承通りゴンドールのヌーメノール人によって建造されたと言われています。

角笛城は、指輪戦争時には西谷の領主エルケンブランドの居城となっていました。

第三紀3019年3月2日、セオデン率いるローハンの軍勢はサルマンのアイゼンガルドの軍勢と戦うためにエドラスから出撃して西進しましたが、アイゼンガルド軍がアイゼンの浅瀬の合戦で勝利を収め、エルケンブランドが敗走したことを知ると、ガンダルフの勧めでこの城に籠城します。

そして3月3日から4日にかけて城を攻めるアイゼンガルド軍との間で角笛上の合戦が行われました。

サルマンは1万を超す軍勢で角笛城を包囲攻撃しましたが、夜明けとともにガンダルフに率いられたエルケンブランドら西谷の軍団が援軍として到着したことで形勢は逆転し、ローハン側の勝利に終わりました。

 

もう一つの防衛拠点であった馬鍬谷はエドラスの南、白の山脈の荒角山とアイレンサガの間にあり、戦時におけるエドラスの人々の避難所として使われました。

しかしここは城や城壁のような建造物があるわけではなく、谷間の奥まった場所に細い道が一本あるだけという場所だったため、地理的な利があったことで防衛に適した地として選ばれた天然の要塞とも言える場所でした。

なおこの道は奥のおぼろ林、さらにその先にある死者の道に通じる入口まで続いています。

指輪戦争では、エドラスの非戦闘民がエオウィンの指揮の下ここに避難しました。

角笛城の合戦の後は、死者の道へ向かうアラゴルン二世らと灰色の一行がここに立ち寄りました。

そして彼らが立ち去った後にセオデンらが到着。ゴンドールからの救援依頼を受けたローハン軍はこの地で集結し、ペレンノール野の合戦へと向かっていきました。

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