ロードオブザリング戦いの幕開け 勢力と拠点解説 リューン編

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ロードオブザリング
ロードオブザリング戦いの幕開けより引用

アプリゲーム、ロードオブザリング戦いの幕開けはユーザーが各勢力に分かれて勢力争いをするゲームです。

マップには原作でも特徴的な建物が再現されていますので、各勢力と建物を解説したいと思います。

この知識を理解した上でゲームをやれば、より楽しめるのではないかと思います。

なおゲームの解説ではなく原作の地理の解説です。

ゲームでは勢力争いによってある地域が別の勢力に入ったりと移り変わりがありますし、原作ではどこの地域にも属さない地域でも、ゲームではある勢力に割り振られていることもあります。

そのあたりを割り切って頂いた上で一連の記事を読んで頂くことを推奨致します。

 

今回は悪の勢力の一つ、リューンを紹介します。

リューンはシンダール語で「東」を意味し、中つ国の東方を大まかに指す言葉です。

この土地に住む人間が東夷です。

ゲームではリューンの湖、大リューン、ケルドゥインの谷、ドルウィニオン、リューンの丘、東方荒地、リューンの丘陵といったあたりがリューンの勢力圏としてイメージされています。

 

元々リューンはエルフや人間が目覚めた地でもあります。

しかし多くのエルフは大いなる旅で西方へ移動し、東に残った人間はモルゴスの影響を受けて悪に染まっていきました。

第一紀末の怒りの戦いを生き残った邪悪な東夷はやがてサウロンが活動を再開するとその影響下に入り、モルドールの属国となります。

魔王に次ぐ地位のナズグルであるハムールも元は東夷の人間だったと言われています。

第三紀になると、リューンの東夷はゴンドールとしばしば衝突し、この地はゴンドールとリューンの勢力争いの場となりました。

 

リューンの湖はその名の通りリューンにある巨大な湖で、内陸海とも呼ばれます。

ゴンドール8代目の王ローメンダキル一世とその息子トゥランバールが東夷の大軍を破って以降、ゴンドールの東の領土はリューンの湖にまで達しました。

19代目の王ローメンダキル二世はさらに東夷を破り、湖の東にあった東夷の野営地と居住地を破壊します。

しかしその後、馬車族の襲来によってゴンドールは東の領土を喪失し、再び東夷の勢力下に置かれました。

ゲームではカインランドという都市が首都になっていますが、この地名は原作には登場しません。

ロードオブザリング戦いの幕開けより引用

リューンの湖の西にはドルウィニオンという地域があり、原作ではエルフ王(スランドゥイル)の宴でのみ供されるブドウ酒の産地として登場します。

ここで作られるブドウ酒は非常に強く、酒に強い闇の森のエルフですら一度に多く飲むと酔って眠ってしまいます。

そのため小さな器で少量を飲むのが正しい飲み方とされています。

 

その北はケルドゥインの谷という地名になっていますが、ここはケルドゥイン(早瀬川)という川が原作に登場するので、その川が流れる地ということで名付けられたゲームオリジナルの地名です。

早瀬川はエレボール(はなれ山)内部の熱水泉を源とし、エレボールの表門から滝となって落ち、谷間の国のそばを通り過ぎて南へ流れ、たての湖に注ぎます。

そして、たての湖では森の川と合流し、湖の南端から滝となって落ちた後はしだいに南東へと湾曲して、さらに下流でカルネン(赤水川)と合流し、最後はリューンの湖に注ぎます。

この川はたての湖にあるエスガロスの町と南方の地を結ぶ水運路であり、交易品を載せた船が航行しています。

 

以上が原作で設定がある地域であり、リューンの丘陵、大リューン、リューンの丘、東方荒地は原作での詳細な設定はありません。

 

ゴンドールを最も脅かした東夷は馬車族でしょう。馬車族とは大きな荷馬車に乗って旅をし、戦車に乗って戦ったことからそのように呼ばれました。

馬車族の侵入はゴンドール三大災厄の一つに数えられており、2度の大規模侵攻がありました。

 

第一波は第三紀1851年から始まり、1856年にはゴンドール第29代目の王のナルマキル二世が大軍を率いて出撃しましたが敗れ、戦死しています。

この時は北国人マルハリの活躍によってゴンドール軍はかろうじて壊滅を免れました(広野の合戦)。

さらに馬車族は浅地からカレナルゾンを急襲することを目論みますが、これはナルマキルの息子カリメフタールが察知し、マルハリの息子マルフウィニと協同して反撃を試みます。

第三紀1899年、進撃してくる馬車族を迎え撃ったカリメフタールは、ダゴルラドでマルフウィニ率いる騎馬軍団と共にこれを挟撃し敗走させることに成功。

こうして第一波はかろうじて撃退されましたが、北国人は故国を失って散り散りとなり、ゴンドールは東方の領土を完全に失いました。

 

馬車族は西方への憎しみと野心を抱いたまま東方で勢力を回復させ、南へ伸長してハラドとも同盟してゴンドールへの攻撃を計画。

こうして第二波の侵攻が始まります。第三紀1944年に東方と南方の蛮夷はゴンドールを挟撃。

マルフウィニの息子フォルスウィニから警告を受けていたゴンドール第31代目の王オンドヘアはゴンドール軍を北軍と南軍に分け、自らは北軍を率いて馬車族を迎え撃ちます。

しかし馬車族の戦車と騎兵からなる前衛部隊は予想以上に迅速かつ強力であり、ゴンドール北軍はモランノンの北のダゴルラドで陣を十分に整えられないまま蹂躙され、オンドヘアと、彼の二人の息子アルタミアとファラミアは討死してしまいました。

そのまま馬車族はイシリアンになだれ込み、勝利を確信して宴を張っていました。

そこを南方の敵を撃退して急遽北上してきた将軍エアルニル(後のゴンドール32代目の王)率いるゴンドール南軍および北軍の残党が急襲。

こうして馬車族は撃滅され、逃げ延びた者達も死者の沼地に追い落とされて殲滅されました(野営地の合戦)。

 

その後も第三紀2510年には馬車族の近縁と見られるバルホス族と呼ばれる東夷がゴンドールを攻撃します。

彼らは大量の船や筏を建造すると、茶色の国から大挙して大河を渡って高地に入り、防ぎ手を一掃。

さらに霧ふり山脈のオークの大軍がそれに呼応して突如としてゴンドールに現れ、両軍はカレナルゾンを蹂躙しました。

当時のゴンドールの執政であったキリオンは援軍を要請する伝令をエオセオドの若き王エオルの許に派遣。

キリオン自身は北軍に迎撃を命じると共に、自ら集められるだけの南軍を率いて北上しましたが進路を断たれ、敵を迎え撃った北軍も、白光川の北でバルホスとオークの挟み撃ちにあい、大河に向かってじりじりと追い詰められていきました。

そんな中ゴンドールを救うために全軍を率いて遠征してきたエオルが間に合い、オークとバルホス族の後衛部隊を強襲してこれを打ち破ると、高地に向かって押し返し、さらにカレナルゾンの平原を縦横に駆け抜けて敵を滅ぼし、ゴンドールの危機は救われました。

戦いが終わった後、キリオンはエオルへ謝意を伝え、カレナルゾンを割譲することを申し出ます。

エオルは感嘆してこの申し出を受け取り、エレンディルの塚の前で両国の永久の友情を約束するエオルの誓いを立て、ローハンを建国しました。

 

その後、第三紀2951年にサウロンがモルドールで復活を宣言すると、リューンは再びその属国として軍勢を供給するようになります。

第三紀3007年にはロヴァニオンの東の境で勢力を広げた谷間の国のブランド王と東夷が衝突。

そして指輪戦争ではゴンドールとの戦いに軍勢を派遣すると共に、谷間の国および山の下の王国を攻撃します(谷間の国の合戦)。

エレボールの山麓では激しい合戦が三昼夜に渡って行われますが、エレボールの門の前でブランド王は討死し、その亡骸を守ってダイン二世も討死してしまいます。

人間とドワーフはエレボール山中に籠城して東夷への抵抗を続けましたが、指輪所持者によって一つの指輪が破壊され、サウロンが滅び、籠城していたバルド二世とトーリン三世は一転攻勢に撃って出て、動揺をきたした東夷を打ち倒して勝利しました。

 

指輪戦争終結後、エレスサール王は降服してきた東夷たちを許し、リューンと西方諸国の間で講和が成立しました。

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