第二紀 一つの指輪の誕生 -ロードオブザリング全史-

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ロードオブザリング
映画ロードオブザリングより引用

1200年 アマンに戻らなかったエルフは愛着のある中つ国の荒廃を嘆き、いずれ衰えゆくであろう彼らの美や力を保護するための手段を欲していた。

それを見抜いたサウロンは非常に美しい姿を取って、言葉巧みに彼らに近付いた。彼は自身をヴァラールによって使わされた者であり、特にノルドール・エルフと馴染みが深いアウレの使者であると説明した。

サウロンの力と知識は非常に珍重され、殊にケレブリンボールを領主としたエレギオンにおいて歓迎された。

ガラドリエルや当時の上級王ギル=ガラド、そして彼の副官であったエルロンドらは彼を信用せず、エレギオンのエルフ達に警告を発したが、彼らは聞く耳を持たなかった。

 

1200年 ヌーメノール人はロンド・ダイア、ウンバールなどに中つ国の恒久的な港を造り始めた。

 

1350年 ケレボルンとガラドリエルはかれらの娘ケレブリーアンを連れてエレギオンからローリエンまで移った。ケレブリンボールがエレギオンの統治者になった。

 

1500年 この頃、サウロンに教示を受けたエルフの金銀細工師たちの技がその絶頂に達する。かれらは力の指輪を鍛え始める。

 

1590年 この頃、エレギオンで三つの指輪が完成する。力の指輪のうち、エルフのための三つの指輪。風の指輪ヴィルヤ、水の指輪ネンヤ、火の指輪ナルヤを指す。

全ての指輪の中で最も美しく、一つの指輪を除けば最大の力を持っていた。

ケレブリンボールが単独で作り上げたため、サウロンの手に触れられたことはなく、他の力の指輪とは異なり所持者が堕落することはない。

しかし結局はこれらの指輪も一つの指輪によって支配されるため、一つの指輪が滅びれば、三つの指輪の力も消失すると考えられた。

 

1600年 この頃、サウロンは密かにモルドールに舞い戻り、滅びの山で他の力の指輪全てを支配する一つの指輪を鍛えた。

エルフの作った指輪が非常に強力なものであったため、サウロンはそれらを支配できる力を得るために、自身の指輪に己の力の大部分を付与せざるを得なかった。

このため、一つの指輪は彼にとって有利なものであると同時に致命的な弱点ともなり得た。

しかしながら一つの指輪を奪われない限り心配は無用であり、指輪がサウロンの指の上にあるときこの世界における彼の力はこの上なく増大することとなった。

こうして第二紀におけるサウロンの力は、第一紀末のモルゴスを凌駕する程のものに至った。

しかしサウロンが一つの指輪を完成させた瞬間、エルフ達は彼が何者であるかを知ることとなる。

そのため彼らは指輪を隠して、決して使用することはなかった。

 

1693年 計画が失敗し正体が露見したサウロンは、謀ではなく力で物事を解決することにした。

まず彼はエルフの作った指輪を引き渡すよう要求した。彼の知識がなければ、エルフ達はそれを作ることは不可能だっただろうという理由である。もちろんエルフ達はこれを撥ね付けた。

そのためサウロンはエルフ達との戦いを開始する。

ケレブリンボールは三つの指輪を分散して隠した。ヴィルヤはギル=ガラドに、ネンヤはガラドリエルに、ナルヤはキーアダンに託された。

 

1695年 サウロンは自ら軍を率いてエリアドールに侵入する。同時期にギル=ガラドによりエルロンドがエレギオンに援軍として派遣される。

 

1697年 サウロンがエレギオンを攻撃する。ケレブリンボールはミーアダインの館の大扉の前でサウロンに立ち向かったが、取り押さえられて捕虜となる。

ケレブリンボールは捕らえられ、19の力の指輪の在り処を吐かせるために拷問にかけられる。

結果九つと七つの指輪の隠し場所は聞き出せたものの、最も力ある三つの指輪に関しては頑として口を割らず、殺された。

三つの指輪はギル=ガラドかガラドリエルのもとにあるだろうと踏んだサウロンはオークの矢に貫かれたケレブリンボールの死体を吊り下げて旗印代わりとし、エリアドールを蹂躙した。

サウロンは援軍として来たエルロンドと対峙するが、エルロンド側に勝てる見込みはなかった。

 

だがその時モリアからエレギオン救出のため派遣されたドワーフ軍と、アムロス王が率いるローリナンド(後のロスローリエン)軍が、サウロン軍の背後を襲った。

このおかげでエルロンドは辛くも窮地を脱した。そして北方へ向かい、滅んだエレギオンの残党を率いて裂け谷を築いた。

サウロンはエルロンドを追うことを諦め、鎧袖一触にしたドワーフとエルフの連合軍を追撃したが、彼らはモリアに逃げ込み、その門を閉ざしてしまう。

当時のモリアはドワーフの数や技術、軍事力がピークにあったため、その国力は全盛期を迎えていた。そのためさすがのサウロンも、難攻不落であるこの地を外から陥落させることはできなかった。

この時からモリアはサウロンの憎悪の対象となり、配下のオークたちに機会があればドワーフを苦しめるよう、命令が下された。

だがモリアこそ落とせなかったものの、後にドワーフたちの聖地であるグンダバド山や、北方の灰色山脈、ドワーフの大街道及びその周辺部の人間の国といった、当時のドワーフの支配領域の多くを壊滅・奪取した。

 

1699年 サウロン軍はエリアドールを席捲した。しかしギル=ガラドのリンドンを落とすためには、自軍の後背にあるエルロンドの裂け谷を抑える必要があったため、サウロンは軍を二分せざるを得なかった。

 

1700年 後にヌーメノール11代目の王となるタル=ミナスティアがギル=ガラドの救援に答えて大艦隊を援軍として送った。

やって来たヌーメノールの大軍とエルフ軍により、二分されていたサウロンの軍勢は各個撃破される。

 

1701年 サウロンがエリアドールから駆逐され、僅かに残った近衛の者と共にモルドールに退却する。

このことがきっかけとなり、サウロンはヌーメノールに強い憎悪を抱くようになる。

しかし未だ時至らずと考えたサウロンは、長きに渡り西方に対して積極的な攻勢に出ることはなく、中つ国の東方に勢力を伸ばすことに腐心するようになった。

西方諸国はこのあと長期にわたり平和を楽しむ。

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