第三紀2931年に生まれ、その後2933年に父親のアラソルン二世を亡くします。
そのため母親のギルラインと共に裂け谷に身を寄せ、エルロンドの養子として育てられます。
アラゴルンは、敵の目から守るためその出生を秘密とされ、エステル(シンダール語で「望み」の意)の名で呼ばれました。
アラゴルン二世はエレンディルの子孫の中でも、最もエレンディルその人に似ていると言われ、また、エレンディルの子イシルドゥアの長子エレンドゥアにも生き写しであり、エレンドゥアを覚えているエルロンドたちは驚いたといいます。
やがて成人した2951年、アラゴルンはエルロンドより自らの出生の秘密を明かされ、折れたナルシルとバラヒアの指輪を渡されます。
その直後アルウェンに出会ったアラゴルンは彼女をティヌーヴィエルと呼んで、恋に落ちます。
しかしエルロンドは彼の目からそのことを読み取り、アラゴルンが試練を経て、しかるべき時が来るまでは、何人とも婚約することを禁じました。
そのため彼は諸国遍歴の旅に出ます。
2956年にはガンダルフと出会って友人となり、しばしば彼の旅に同行します。
やがてアラゴルンは素性を隠し、各地でサウロンの手先と戦うようになります。
エルロンドの会議での彼の発言によると、星々の光さえこことは異なるリューンやハラドの遠い国々にまで足を伸ばしたといいます。
2957年からは、ローハンの王センゲル(セオデンの父)やゴンドールの執政エクセリオン二世(デネソール二世の父)に仕えます。
その時アラゴルンはマントに銀の星を付けていたため、「星の鷲」の意であるソロンギルと呼ばれました。
ソロンギルは特にゴンドールにおいて功名を勝ち得ます。
わけても海賊の脅威を懸念した彼は、小艦隊を率いてウンバールを奇襲。わずかな被害と引き換えに敵の船の大半を燃やし、自らも波止場の戦いで港の大将を倒す大戦果を挙げます。
これにより後の世のゴンドール南部沿岸地方の脅威は大幅に軽減されました。
しかしソロンギルはこの勝利からゴンドールへ凱旋することはせず、そのままひとり姿を消します。
当時のゴンドール人はこれを重大な損失と見なし、彼の競争相手すなわちデネソールが主君(執政)となる前に自ら去ったのだと考える者もいました。
その後、休息を取るため裂け谷に向かおうとしていて、2980年にロスローリエンの近くを通りかかったところ、ガラドリエルの導きでこの地に招き入れられます。
そしてたまたま同じくロスローリエンにいたアルウェンに再会し、ケリン・アムロスで婚約の誓いを交わして、アルウェンにバラヒアの指輪を渡します。
しかしエルロンドには、アルウェンの夫となるには、アルノールとゴンドールを統べる王以上の人間にならなければならないと言い渡されました。
3001年、ホビット庄周辺に敵の間者が集まっていることに気づいたガンダルフは、アラゴルンに助力を求め、一つの指輪の存在を確認したいと胸の内を打ち明けます。
そこでアラゴルンは野伏によるホビット庄の守りを倍加するとともに、ゴクリを捜索して指輪が発見された経緯を確認することを提案。
2人は3009年より約8年間、断続的にゴクリの捜索を行いました。
ガンダルフがゴクリ捜索を中断し、ゴンドールでイシルドゥアが残した記録を調べている間も、アラゴルンは単身捜索を続け、ついに3017年、死者の沼地でゴクリを捕らえることに成功。
ゴクリを闇の森のスランドゥイルの一党に引き渡し、その後も庄境を守る任務に従事します。
大いなる年の3018年、フロド・バギンズが指輪とともに裂け谷へ向かうことになったと報せを受けたアラゴルンは、東街道を監視しており、3018年9月29日、ブリー村でフロドたちに出会います。
この時、フロドたちにはバーリマン・バタバーより馳夫の名で紹介されます。
当初アラゴルンはホビット達に警戒されましたが、ガンダルフがバタバーに預けていた「山の下氏」にあてた手紙には、馳夫ことアラゴルンのこと、また折れたる剣について触れた詩が書かれていました。
そして実際にアラゴルンは折れた剣(折れたナルシル)を持っていたこともあって、ホビット達から信用を得ます。
アラゴルンはナズグールをかわし、フロドたちを裂け谷まで導くべく尽力。
途上風見が丘でフロドが魔王にモルグルの刃で刺されると、アセラスを用いて治療を試みます。
しかしモルグルの傷は彼の手にすらあまるものであり、エルロンドの治療に委ねるべく裂け谷へ急ぎます。
グロールフィンデルの助力を得た後は、ブルイネンの浅瀬で他のホビット達とともに火を用いてナズグールを奔流に追い落とすことに成功しました。
裂け谷に辿り着いた後、エルロンドの会議で指輪の仲間の一員に選ばれ、指輪所持者の任務に従属することになります。
指輪の仲間は12月25日に裂け谷を出発し、アラゴルンはガンダルフを補佐して共に一行を導きます。
当初、アラゴルンは赤角山道で霧ふり山脈を越えることを提案しましたが、カラズラスの悪意に阻まれたため、不本意ながらモリアを潜り抜けるガンダルフの案に従います。
しかし彼の悪い予感は的中し、ガンダルフはモリアでバルログと戦って奈落に落ちてしまいます。
そのためアラゴルンは代わって統率者の役を引き受け旅を続けます。
途中ロスローリエンでは、ガラドリエルより贈り物であるアンドゥリルの鞘と共に、アルウェンから託されていた緑の石を受け取ります。
しかしガンダルフを失ったことで、アラゴルンは指輪所持者を助けて共にモルドールへ赴くべきか、ゴンドールへ凱旋すべきか、判断を迷うようになり、指輪の仲間もまた取るべき道を選択できずにいました。
パルス・ガレンで仲間は離散しましたが、そこでフロドの運命は自らの手から離れたことを悟り、自身はレゴラスとギムリと共に、オークの一団にさらわれたメリアドク・ブランディバックとペレグリン・トゥックの救出に向かうことを決意します。
アラゴルンたちはローハンの平原を4日で45リーグ(約217km)も踏破するという驚くべき追跡を行い、その途中でエオメルに出会います。
エオメルから馬のハスフェルとアロドを借り、メリアドクとペレグリンの追跡を続行し、ファンゴルンに入ったところで白の魔法使いとなったガンダルフと再会。
メリアドクとペレグリンの無事を知らされたアラゴルンたちはガンダルフと共に、ローハンがサルマンの軍勢と戦うのを援助します。その過程でアラゴルンはエオメルとの友情を深め、ローハンは角笛城の合戦で勝利します。
オルサンクでのサルマンとの対峙後、アラゴルンは角笛城にて、オルサンクのパランティーアを使用し、サウロンに自分の姿と鍛え直されたアンドゥリルを晒して挑戦。
サウロンの目をフロドから逸らさせると同時に、パランティーアの力でゴンドール南部の沿岸地方にモルドールの同盟軍が迫っていることを知ります。
そこでアラゴルンはエオメルやローハンの軍勢とは別れ、レゴラスとギムリ、そして裂け谷より派遣されて新たに合流したエルラダン、エルロヒア、それにハルバラドをはじめとする北方の野伏たち灰色の一行とともに、自分のために届けられた乗馬ロヘリンにまたがって、死者の道を経由してエレド・ニムライスの地下を南へ渡り、エレヒへと向かいます。
彼はエレヒにて、イシルドゥアの呪いによりこの地に縛られていた死者の軍勢を招集して、ペラルギア方面にいたサウロンの同盟軍を駆逐。
海賊の艦隊を奪うと、辺境の諸侯国の軍勢を海賊船に乗せてアンドゥインをさかのぼり、アルウェンの旗印を掲げ、エレンディルミアを身につけてペレンノールへと到達。
モルドールとその同盟軍に包囲されていたミナス・ティリスを救出しました。
またアラゴルンは療病院で、黒の息に冒されたファラミア、エオウィン、メリアドク・ブランディバックほか多数の人々を、アセラスと癒やしの力で救います。
この時アラゴルンは、「王の手は癒しの手」という伝承との符合とともに、身につけていた緑の石のため、ゴンドール人から「エルフの石の殿」即ちエレスサールと呼ばれるようになりました。
その後アラゴルンは、ガンダルフやエオメルらと共に、ゴンドールとローハンの軍勢(西軍)を率いて3月18日に黒門前まで進軍を開始。
自分たちを囮にして、フロドのモルドール侵入を容易にしようという作戦でした。
彼らは3月25日、黒門前でモルドール軍の包囲に対し、燃えかすの山の上に陣取って迎え撃ちます。
その戦いのさなかに、フロドが滅びの罅裂で一つの指輪を破壊することに成功。
サウロンによる統制を失うとともにその敗北を目の当たりにしたモルドール軍とその同盟軍は総崩れとなり、西軍は勝利を収めました。
勝利を収めた西軍はコルマルレンの野に野営し、アラゴルンはグワイヒアらによって救出されたフロドとサムを癒やします。
それからミナス・ティリスへ凱旋し、イシルドゥアの世継である正当なゴンドールの王位後継者として、エアルヌアがラス・ディネンに置いていったゴンドールの王冠を戴き、エレスサール王として5月1日に戴冠しました。
同年の夏至の日にはエレスサール王は、裂け谷からミナス・ティリスにやって来たアルウェンを迎え、婚礼を遂げます。
人間の諸侯のみならず、裂け谷とロスローリエンの諸侯も参列する中、彼はエルロンドよりアンヌーミナスの王笏を受け取り、統一された北方王国と南方王国の王として戴冠し、西方の王とも呼ばれるようになります。
エレスサール王は、なおも東方・南方にてサウロンの同盟軍の残党と戦いましたが、その下で西方諸国はかつてない繁栄と平和を得ることができました。
ホビット庄は統一された王国の範疇でしたが、そこをホビットの自由地とし、人間の立ち入りを禁じます。
彼自身もそれを守り、サムワイズ・ギャムジーをはじめとした友人達と会うため、王と王妃らはブランディワイン橋のたもとまで行幸した時も、庄内に立ち入ることはありませんでした。
その代わり友人達は、再建されたアンヌーミナスの館へ招かれました。
エレスサール王は、エレンディル以来のもっとも偉大な王として、120年の間ゴンドールとアルノールの再統一された王国を統治します。
またアルウェンとの間には、エルダリオンをはじめとする子を残しました。
そして第四紀120年、自らの死期を悟ったエレスサール王は、ラス・ディネンの自分のために用意された寝台に身を横たえ、エルダリオンに王位を譲り、アルウェンに別れを告げると、ドゥーネダインに残された「自らが望むときに生を返上する」という恩寵を受け、崩御します。
エレスサール王の寝台の傍らには、先にゴンドールで死去し、ラス・ディネンに葬られていたメリアドク・ブランディバックとペレグリン・トゥックの寝台が並び置かれました。
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