リューンの話

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ロードオブザリング
lotro.fandom.comより引用

リューンはシンダール語で「東」を意味し、中つ国の東方の土地を指します。

具体的にはリューンの湖と灰色山脈より東の地域であり、この土地に住む人間は東夷と呼ばれます。

東夷は長らくゴンドールと対立しており、指輪戦争でもサウロンの味方をして、ペレンノール野の戦いなどにも参戦しました。

映画で描かれていたサウロンに味方する人間の多くは東夷であろうと推測されます。

 

元々は第一紀末の怒りの戦いを逃れた邪悪な人間達が東方に逃れてきたところに、指輪王となったサウロンが勢力を広げていきました。

そのためリューンはサウロンの影響が色濃い地域となり、東方に赴いた青の魔法使いたちも戻ってくることはありませんでした。

第三紀になると、リューンの東夷はゴンドールと度々刃を交えます。

第三紀500年にはゴンドール8代目の王、タロスタールが東夷を破り、「東の勝者」を意味するローメンダキルを名乗ります。

その後、彼は新手の東夷に殺されましたが、その息子トゥランバールは父の仇を討って東方に領土を獲得。

ゴンドールの東の国境はリューンの湖に至るまで拡大しました。

1248年にはゴンドール19代目の王、ミナルカールがロヴァニオンとリューンの湖の間で東夷の大軍を打ち破り、湖の東岸にあった東夷の野営地や居住地を破壊。

ローメンダキル二世王を名乗ります。

ゴンドールに最も危機が訪れたのは1851年から1944年までの馬車族の侵攻で、この事件はゴンドール三大災厄の一つと呼ばれています。

この時にゴンドールは東の領土を失い、それ以降ゴンドールがリューンと関わることもリューンが大規模にゴンドールに侵攻してくることもなく、関わりは薄くなりました。

ただゴンドール32代目の王エアルニル二世の執政であったヴォロンディルはリューンの野で白い野牛を狩り、その角からゴンドールの角笛が作られており(映画でボロミアが所持していた角笛です)ある程度の関わりはあっただろうと推測されます。

 

第三紀2951年にサウロンがモルドールで復活を宣言すると、リューンは再びモルドールの属国となります。

第三紀3007年にはロヴァニオンの東の境で勢力を広げた谷間の国のブランド王が東夷と衝突。

3018年から3019年の指輪戦争では、東夷は谷間の国と山の下の王国と戦いつつ(谷間の国の合戦)、ゴンドールとの戦いに軍勢を派遣しました。

その後サウロンが滅びた後は西方諸国の間で講和が成立したようです。

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