シンダール語で黒の国を意味するモルドール。
サウロンはこの地に城砦バラド=ドゥーアを建造し、支配しました。
またこの国にある滅びの山の火を用いて一つの指輪は作られました。
モルドールはエレド・リスイ山脈とエフェル・ドゥーアス山脈という二つの山脈に囲まれた難攻不落の地です。
北の入り口であるキリス・ゴルゴルには黒門と歯の塔、西の入り口のモルグル谷にはミナス・モルグル、そこから分かれたキリス・ウンゴルにはシェロブの洞窟とキリス・ウンゴルの塔があり、すべての道は徹底して監視され防衛されており、敵の侵入は困難を極めます。
北西部のゴルゴロス高原の中央部に滅びの山があり、その東にサウロンの城砦であるバラド=ドゥーアが建っています。
滅びの山の活動によって噴煙に覆われているため昼でも薄暗くなっています。
北部には鉱山や鍛冶場、軍勢の野営地などが広がっています。
南部のヌアネン湖周辺には大規模な奴隷農場があり、そこで生産される食糧で軍隊を養っています。
また東のリューンや南のハラドにある隷属国とは大街道によって繋がっており、それらの国々からもたらされる多量の貢物と奴隷によっても国力が維持されています。
第二紀に中つ国で活動を再開したサウロンは、1000年頃に滅びの山があるこの地を拠点に選び、その火を妖術や鍛造に利用すると共にバラド=ドゥーアの築城を始めます。
そして1600年頃にサウロンは滅びの山の火で一つの指輪を鍛え上げ、バラド=ドゥーアを完成させます。
3261年にアル=ファラゾーンがウンバールに上陸すると、3262年にサウロンは降伏してヌーメノールへと連れ去られると、その間モルドールは放置されましたが、3319年にヌーメノールが海底に没するとサウロンはこの地に帰還し、再び滅びの山を噴火させました。
モルドールに戻って戦力を再建したサウロンは3429年にゴンドールに戦いを仕掛けましたが、翌年締結された最後の同盟によってモルドールは同盟軍から攻撃を受けます。
そして3434年のダゴルラドの戦いでサウロンの軍勢は敗北し、バラド=ドゥーアは3441年まで包囲され、滅びの山の山腹で行われた最後の戦いにおいてサウロンは敗れました。
しかし一つの指輪が破壊されずサウロンの力は完全には消滅しなかったため、バラド=ドゥーアは破壊することができず、廃墟のまま残されました。
第三紀になると、モルドールはゴンドールの監視下に置かれました。
国境には歯の塔、キリス・ウンゴルの塔、ドゥアサングといった砦が築かれ、悪しき者が戻ってくることがないよう封鎖されます。
そのため復活したサウロンは闇の森のドル・グルドゥアに潜んで好機を伺い、悪疫や戦乱を引き起こしてゴンドールの国力を衰退させるように試みました。
そのため1640年頃には監視がおそろかになり、やがて悪しき者達が再び密かにこの地に戻ってくるようになります。
1980年にはナズグルがこの地に集結し、2000年から2002年にかけてミナス・イシルを包囲攻撃し陥落させます。
陥落したミナス・イシルはミナス・モルグルへと作り変えられました。
そして国境にあった砦もすべてモルドールが奪い取り、モルドールを防衛するために用いられるようになりました。
2942年にはサウロンが遂にドル・グルドゥアを放棄して、密かにモルドールへ帰還します。
そして2951年に彼は公然と名乗りを上げ、全ての悪しき者達をモルドールに集結させるとともにバラド=ドゥーアの再建を始め、2954年には滅びの山が再び噴火します。
以後、モルドールの影は着々と中つ国に広がっていきましたが、ゴンドールの働きによってその力がアンドゥイン河の西側に及ぶことはかろうじて阻まれました。
指輪戦争においては、サウロンはモルドールおよびそれに隷属する東方や南方の軍勢を動員して、西方諸国へ一斉攻撃を仕掛けました。
しかし一つの指輪が破壊されたことでサウロンの力は完全に滅び、その軍勢は総崩れとなり、バラド=ドゥーアも崩壊します。
ゴンドールのエレスサール王はモルドールの奴隷を解放し、モルドール南部のヌアネン湖付近の土地をかれらに与えました。
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