84位 エオメル -ロードオブザリング強さランキング-

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ロードオブザリング
映画ロードオブザリングより引用

セオデンの甥でありエオウィンの兄。戦いにおいてはグースヴィネという剣を使い、火の足という馬に乗っていた。

 

第三紀3002年に父エオムンドがオークに殺され、母セオドウィンもすぐ病を得て亡くなると、エオメルはエオウィンと共にセオデンに引き取られ、彼の養子としてエドラスで育てられる。

 

エオメルは父の役職を次いで東マークを統括する第三軍団の軍団長として、谷地のアルドブルグに本拠を持った。彼より13歳年上の従兄セオドレドとは強い友情で結ばれており、エオメルは彼をセオデンに次いで尊敬していたという。

 

セオデンがサルマンの間者グリマの術策によって耄碌しても、セオドレドとエオメルの王に対する忠誠心はいささかも揺るがず、また互いの信頼関係も揺るがなかった。

 

そのためグリマは、可能な限りこの二人が王からの信頼を失うよう仕向けようとしていた。

 

第三紀3019年2月26日に、オークの一団が東谷に侵入したとの報を受けたエオメルは、エドラスからの命令を無視して自らのエオレドを引き連れて討伐に乗り出し、かれらを追跡して29日の夜明け前にファンゴルンの森のきわで追い詰め、包囲して殲滅する。

 

翌日、捕虜にされたメリーとピピンを救出するためオークを追っていたアラゴルン二世、レゴラス、ギムリの一行に行き会う。

 

はじめはよそ者に警戒心を示したが、アラゴルンがエレンディルの世継であることを名乗り、誘拐された友人二人を助けるためにローハンの平原を踏破してきたことを聞かされると、後で必ずエドラスに立ち寄るよう約束させるのみでかれらを見逃し、さらに馬を貸し与えた。

 

エドラスに戻ったエオメルは、命令に反してオークを追跡するために東マークの軍勢を連れ出しエドラスの防備を疎かにしたことやよそ者を捕らえず国内を通行するのを見逃したことをグリマに告発される。

 

さらに、グリマがエオウィンを我が物にしようと狙っていることを知っていたエオメルは、宮廷内で剣を抜きグリマを切り捨てようとする。そのため、グリマの言いなりになったセオデンの命によって投獄された。

 

アラゴルンらとともにエドラスを訪れたガンダルフの手によってセオデンが癒され、グリマの呪縛から解放されると、エオメルも釈放される。

 

エオメルはセオデンの信頼を取り戻し、軍事上の第一の相談役として王に付き添うこととなり、またセオデン亡き後の王位継承者に指名された。

 

セオデンに付き従ってヘルム峡谷まで軍を進めたエオメルは、角笛城の防衛を事実上指揮し、自らの手勢を峡谷を塞ぐ奥の防壁に主に配置してアイゼンガルドの軍勢に備えた。

 

攻撃が開始されると、しばしばアラゴルンと共に奮戦し、城門に攻め寄せる敵部隊を押し戻して活躍した。

 

峡谷内まで敵が流れ込んでくると、エオメルはギムリ、ギャムリングらと共に本陣から分断され、峡谷の燦光洞まで撤退する。

 

だが夜明けとともにセオデンがヘルムの角笛を吹き鳴らして出撃すると、それに呼応して反撃。敵をヘルムの堤防まで押し返し、直後に到着したエルケンブランドら西谷の援軍とともにセオデン、アラゴルンらと再会した。

 

ペレンノール野の戦いでは曙光と共に突撃し、戦いの歓びに高らかに歌いながら戦場を席巻し、敵の手に落ちていたペレンノールの半分を掃討する。映画でもオリファントを操るハラドリムの指揮官を投げ槍で仕留めるなど活躍。

 

しかしセオデンは魔王の攻撃によって命を落とす。率いるエオレドと共に今際のセオデンの許に辿り着いたエオメルは、その場で彼からマークの王位を譲られた。

 

ところが、セオデンの周囲で倒れ伏している従者の亡骸を確認している途中、そこにエドラスに残してきたはずの妹エオウィンが横たわっていることに気付いてしまう。

 

魔王に打撃を与えたために黒の息に冒され、一見すると死んだようになっている彼女の姿を見て衝撃と激怒に駆られたエオメルは、周囲の意見も聞かず馬に打ち跨って狂ったように戦場に取って返した。

 

恐るべき怒りに駆られたロヒアリムの軍勢は敵軍の前線を潰滅させ、ハラドリムの軍勢を二分して通り過ぎ、騎兵を敗走させ歩兵を全滅させるなどすさまじい戦いぶりを示したが、ムマキルの恐怖に対しては馬は無力で打ちかかることができず、ムマキルの周囲に敵軍が再集結しつつあった。

 

さらにオスギリアスからは新手が送り込まれ、ハルロンドには海賊の艦隊が停泊しようとしていた。それを見て取って望みを失ったエオメルは、むしろ覚悟を決めて明晰さを取り戻し、沸き起こる戦意のために悲壮な詩句を口ずさんで笑う。

 

しかしそこで停泊した海賊船に搭乗していたのは、ゴンドールの辺境の諸侯国の兵を引き連れたアラゴルン二世であり、エオメルとアラゴルンは再び戦場で再会した。

 

この援軍が決定打となって合戦の流れは変わり、モルドールとその同盟軍はほとんどが追い詰められて殲滅された。

 

その後アラゴルン二世のテントで開かれた最終諸侯会議で黒門への攻撃が決定されると、エオメルは麾下のロヒアリム歩兵500名と騎兵500騎を率いて西軍に参加することが決まった。

 

エオメルはこの戦いに生き残り、ローハンの新たな王(エオル王家の第三家系)として凱旋することができた。エオメルとローハンは即位したエレスサール王からあらためてカレナルゾンの地を永久に与えられ、その同盟の誓いを新たにした。

 

エオメル王は指輪戦争終結後もエオルの誓いを果たすためにロヒアリムの軍勢を指揮し、エレスサール王の軍とともに、西方世界の敵たちと戦った。ローハンは待ち望まれた平和を謳歌できるようになり、人口も馬の数も増えた。

 

第三紀3021年にはイムラヒル大公の娘ロシーリエルと結婚し、後に息子エルフウィネが生まれた。

 

晩年の第四紀63年の春、エオメル王はもう一度ホビットに会いたい旨の伝言をバック郷に送り、すでに老齢だが矍鑠としていたメリアドク・ブランディバックをペレグリン・トゥックと共に呼び寄せる。

 

同年の秋にエオメル王は薨じ、それまで2人のホビットはエドラスにいたという。




 

 

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