第一紀 トゥーリン・トゥランバールの最期 -ロードオブザリング全史-

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ロードオブザリング
Túrin Turambar - Tolkien Gatewayより引用

496年 トゥーリンはドル=ローミンまで休むことなく歩き続けた。今やドル=ローミンは東夷の支配下にあり、彼は用心深く、頭巾を深くかぶり歩いた。そして目指すフーリンの館についに辿り着いた。

だがモルウェンは既に去り、今や東夷のブロッダがその屋敷を略奪した後で、そこは廃屋となって人っ子一人いなかった。

ブロッダの屋敷はフーリンの屋敷の直ぐ側に立っており、かれはそこへ赴き一夜の宿を借りた。ブロッダの妻アイリンによってそれは与えられた。

 

彼はそこで昔の使用人と運良く出会うことができ、一端外に出て、モルウェンもニエノールもすでにここにはいないこと、その行き先はアイリンしか知らないと教えられた。

そしてアイリンに母と妹のことを聞いたが、立ち去ったとしかアイリンは答えられなかった。そこで酒と憤怒で真っ赤になったブロッダが、死にたくなければとっとと出て行けと脅しをかけたが、トゥーリンは黒の剣を抜き放ちブロッダに突き付けて、アイリンに真実を言うよう迫った。

そこでモルウェンの館はブロッダに荒らされ、彼女は一年以上も前にドリアスへ発ったこと、モルウェンはドリアスにいるはずの息子と会う予定であったことを告げた。

しかし目の前にいるトゥーリンがモルウェンの息子なら、一切が歪んでしまったようだと言った。これを聞いてトゥーリンは狂気に侵された如く笑った。

グラウルングの呪言が解けて、謀られたことがわかったからである。

 

不意にドス黒い怒りにとらわれた彼はブロッダを投げつけ、投げ落とされた彼は頸骨が折れて死んだ。

そして客として来ていた他の東夷三人を切り捨てたところで、他の東夷達が向かってきたが、召使とされていた多くのドル=ローミンの民達が彼の救助に向かい、双方で戦いとなり、多数の犠牲者が出たものの、その場にいた東夷は一人残らず殺された。

トゥーリンの昔の使用人も致命傷を負い、彼に別れを告げると息絶えた。そしてアイリンはトゥーリンに急いで出立するよう促した。彼が一族に死と破壊を運んできたからである。

東夷達は速やかに復讐に来るであろう。彼女はトゥーリンに彼が起こした事態を自分が引き受けねばならないこと、それと彼の短慮な行いを咎めた。

 

トゥーリンは何人かの仲間とともにブロッダの館をぬけ出すと、東夷の山狩りを遁れて遠くまでやって来た。その時遥か遠くに火の手が見えた。アイリンが館に火を放って自害したのである。

それを見たトゥーリンに、仲間はアイリンは決して弱くなかったこと、辛抱強くドル=ローミンの生き残りに出来ることをしてくれていたことを告げる。

そして一行は山中の隠れ家まで辿り着き、備蓄されていた食料をトゥーリンに手渡すと、シリオンの谷間へと南下する下り道で別れた。

今やトゥーリンが来たことで、ドル=ローミンの生き残りは狩られる身となったからである。

 

トゥーリンは生まれ故郷を去り、苦い思いを懐いてシリオンへと下っていった。彼が戻ったがゆえに、生き残っていた同胞に、更に大きな苦しみを与える羽目になったからであった。

唯一の慰めは黒の剣が南方で振るわれていた頃、そのためにモルウェンとニエノールがドリアスに脱出する猶予が出来たのだ、ということであった。

トゥーリンは二人はこのままシンゴル夫妻に預かってもらおうと思い、ドリアスには向かわず、遅まきながらフィンドゥイラスを探すことにした。

 

そんな最中テイグリンの川を南に下っていたトゥーリンは、ブレシルの森のハレスの一族と遭遇した。

彼らはオークとの戦いの最中で、包囲されていた。オークのほうが数が勝っていたため、彼らが助かる見込みは殆どなさそうだった。

そこでトゥーリンは大人数の伏兵がいるように見せかけて、オーク達を襲った。オーク達は算を乱して逃げ出した。そこでハレスの族は攻勢に出て、トゥーリンと共にオーク達を殆ど討ち取った。

 

その際立った腕前を見たハレスの族は、トゥーリンに是非とも住まいを共にして欲しいと頼み込んだ。しかし彼はナルゴスロンドの姫君を探しているのでそれは出来ないと断った。

すると彼らは痛ましげに彼を見つめ、ドルラスという男が、「オークどもは卑怯にも捕虜の女達を皆殺しにした」と答えた。そしてオロドレスの娘フィンドゥイラスは、槍で木に磔にされたとも付け加えた。

トゥーリンは衝撃を受け、なぜそれが姫とわかったとだけ尋ねた。ドルラスは姫が息を引き取る前に、「モルメギル、フィンドゥイラスはここにいる、とモルメギルに伝えて」そう言い残すと彼女は事切れたと答えた。そこで彼らはその場所、テイグリンの畔に塚を築き姫を葬った。

 

トゥーリンは自分をそこへ連れて行ってくれるよう頼んだ。そのため彼らは姫が葬られた塚へと彼を案内した。トゥーリンはそこで悲しみの余り、倒れ伏し気を失った。

その時ドルラスは彼の持っていた黒の剣と、ナルゴスロンドの姫君を探していたという彼の用向きから、この男こそモルメギル、即ちフーリンの息子トゥーリンであると気付いた。

それ故彼らはトゥーリンを担ぎ、彼らの住処へと運んでいった。

 

その頃ハレスの族は繰り返される戦闘で、その数を大きく減らしていたため、ブレシルの森深くに住処を築いていた。

ハンディアの息子ブランディアが族長となり統治していたが、彼は幼い頃より足が不自由であったため、武人ではなく、代わりに癒やしの術を身につけていた。

ブランディアは担ぎ込まれたトゥーリンを見て、不吉な思いに捕らわれたが、それでも彼を自分の家に引き取って癒やした。

 

春が巡り来た頃、トゥーリンはようやく元気を取り戻し、病床から起き上がれるようになった。彼は自分の所業と過去を思い、その暗い影と縁を切り、ここで平和に暮らそうと思った。

名前と絆を断ち切ることで、それが出来ると考えた。そこで彼は今までの名を全て捨て去り、自らをトゥランバールと名付けた。クウェンヤで<運命の支配者>の意である。

そして他の者達に自分をブレシルの人間と思って欲しいことと、他にあった名前はもう忘れてくれるよう頼み込んだ。

 

とは言え、名前を変えたからといって性格まで変わるわけでもなく、モルゴスに対する怨みは忘れられなかったため、彼は志を同じくする仲間と時々オーク退治に出かけた。

だがこれはブランディアの気に召さなかった。彼は隠れ潜むことによって、己が民の存続を図っていたからである。

トゥーリンはトゥランバールの新たな武勇が、ブレシルに復讐を招くようなことが無いよう気をつけるため、黒の剣と竜の兜を仕舞い込み、弓矢と槍を使って戦った。

しかし彼はフィンドゥイラスの眠る塚、今やハウズ=エン=エルレス(エルフ乙女の塚)と名付けた地に、オークが近づくようなことは断じてさせなかった。

 

一方その頃、モルウェンとその娘ニエノールはドリアスで、シンゴル王と妃メリアンの庇護の下、安全に暮らしていた。

だがそんな時ナルゴスロンドからの知らせがドリアスに達した。トゥムハラドの合戦で生き残った者たちが、シンゴルの許へと避難してきたからである。

彼らの言うことは様々であったが、黒の剣がドル=ローミンのフーリンの息子トゥーリンだ、ということだけは一致していた。これを聞いたモルウェン母娘の悲しみは大きかった。

モルウェンはこのような疑念を抱かせることこそまさにモルゴスの仕業であり、真実を知ることもままならないのかと嘆いた。

しかしトゥムハラドの合戦で彼が竜の兜を身に帯びていたことを聞くと、真実だと悟り居ても立ってもいられず、メリアンの忠告にも耳を貸さずに、我が子を探すためにドリアスを発った。

 

ただ娘のニエノールにはドリアスに残るよう言いつけた。シンゴルはマブルングを始めとした一隊を呼び集め、モルウェンを追い彼女を警護するよう、そして可能なら連れ戻すよう申し付けた。

マブルング一隊はシリオン川の傍で彼女に追いつき、帰る意志はないか問うたが、モルウェンは物狂いのようになってそれを撥ね付けた。

そのため仕方なく共に川を渡ったが、その時に彼女の娘ニエノールも一行に紛れ込んでいたことが露見した。モルウェンは即刻戻るよう命じたが、彼女は従わなかった。

 

実の所ニエノールはトゥーリンを探そうと思ったわけではなく、自分が母親の行くところについて行くと言うことで、娘にも危険が振りかかる恐れが生じる事を案じさせ、出来得ればモルウェンをドリアスに引き戻そうと考えたのである。

しかしモルウェンはその自尊心故に戻ることを拒否し、ついてくるよう娘に言った。マブルングはそれに呆れつつも、王命故に彼女らを警護せざるを得なかった。

こうしてモルウェン一行は三日間進み続けてナログ川の東方にまで近づいた。

そこでマブルングはアモン・エシアという山にモルウェン母娘と護衛騎士を残し、自らは偵察隊を率いて隠密裡にナルゴスロンドの方へ近づいて行った。

 

しかしグラウルングはとうに彼らの接近に気づいていた。竜の眼は遠目の利くエルフのそれを上回り、アモン・エシア山頂に幾人かが残っていることまで見抜いていた。

マブルングたちがナログ川の激流を渡れるところを探している最中に、突如グラウルングは打って出た。

竜はナログの流れに身を浸したため辺りはたちまち蒸気で包まれ、マブルング達は盲になるほどの蒸気と竜の悪臭にたまらず、殆どの者がアモン・エシアの方角へ逃げ出した。

 

だがマブルングは豪胆であったため、グラウルングがナログ川を乗り越えた際に、脇に退き隠れてその場に留まった。

彼はトゥーリンに関しての事実を集めよとの王命も受けていたので、グラウルングが去ったら直ぐ様ナルゴスロンドの王宮内を探索しようと決意した。

ナログ川を渡ったグラウルングはそのまま東へと進んだ。竜の来襲に気付いた護衛騎士達は、慌ててモルウェン母娘を連れて東へ全速力で逃げ戻ろうとした。

 

しかし竜が起こした蒸気と悪臭が風に乗ってアモン・エシアに到達し、彼らを包み込んだため、馬たちが混乱して制御できなくなり、てんでバラバラに逃げ出す羽目になってしまう。

そのためモルウェンが娘の名を叫びながら、霧の中に消えていっても何も出来なかった。以後彼女は行方知れずとなる。

幸いなことに娘の方は、落馬したものの幸い無傷ですんだ。彼女はそこで考えアモン・エシア山頂に戻るのが賢明だと思われた。いずれマブルング達が戻ってくるだろうと考えたからである。

彼女は臭気と濃霧の中、山の方へ見当をつけて登り始めた。そのうちにようやく霧も薄れ明るい日光の中、頂に着くことが出来た。

そして西方を見ると目の前にグラウルングの巨大な頭があった。丁度竜は反対側から這い登ってきていたのである。そして彼女は竜の邪眼を見てしまった。

彼女はハドル家の血を引く強い意思の持ち主であったため、暫くの間竜に抗った。しかしグラウルングは持てる力を発揮し、彼女の目的と素性とを知った。

竜は笑うとその邪視の魔力で彼女の心を闇で覆い、そして忘却の呪いをかけた。

そのため彼女は意思を奪われ、自分が何者かさえもわからなくなり、身動きすることも出来なくなってしまった。そうするとグラウルングは満足したように己の巣へと戻っていった。

 

一方マブルングはこの間フィンロドの館を探索していたのだが、竜の戻ってくる気配に気付くと直ぐ様そこから撤退した。

しかし、途中で竜の嘲りとニエノールがどうなったかを聞かされて、急いでアモン・エシア山頂へ向かった。

そこには様子のおかしくなったニエノールが一人佇んでいた。彼女は何の反応もせず、手を引けばただ大人しく付いて来るだけであった。

 

ドリアスへと戻る途中、マブルングの仲間だった三人が二人を見つけ、一行はのろのろと進みようやくドリアスの国境付近にまで来た。そこで一行は疲れから眠り込んでしまった。

そこを折悪しくオークの一隊に襲われた。オークのおぞましい声にニエノールは目を覚まし、恐怖に駆られて逃げ出した。

オークどもは彼女を追ったが、目が覚めたエルフたちも追いかけ、オークたちと戦闘になった。そして残らずオークを斬って捨てた後、二エノールを探したが彼女は最早見つからなかった。

 

その頃トゥランバールことトゥーリンは、数人の仲間とともにオーク退治に出かけた。その帰りに南方から稲妻と豪雨を伴った嵐がやってきたので、彼らはテイグリンの渡り瀬を使って近くの宿場へと道を急いだ。

その時稲妻の閃光に照らしだされ、フィンドゥイラスの塚の上に横たわる乙女の亡霊らしきものが見えたため、トゥーリンは思わず震え慄いた。

しかし仲間たちが駆け寄って見ると、それは人間の娘でまだ息があった。彼らは彼女を担ぎ上げ、トゥーリンは自分のマントを彼女に着せかけて(どういう理由か彼女は何も身に着けていなかった)、自分たちの小屋まで連れて行った。

そこで彼女を介抱すると、彼女は意識を取り戻した。彼女の視線は彷徨うように彼らに向けられていたが、トゥーリンを眼に止めると表情に光が差し、彼女の心は安らぎを覚えた。

彼女は彼から離れたくないと思った。そしてトゥーリンは彼女に食べ物を与え、彼女が食べ終えると、氏素性やどうして彼処にいたのかなどと色々尋ねた。

だがそれらに彼女は何も答えられず、さめざめと泣いた。そこで彼は無理にそれ以上問い詰めるようなことはせず、彼女を仮の名前としてニーニエル(涙の乙女の意)と呼んだ。

 

翌日、彼らは彼女を伴って、彼らの住処であるエフェル・ブランディアへと向かった。しかしその途上ニーニエルが瘧にかかったように震え出し、高熱を発した。

彼らが住処に到着するとそこで彼女は長いこと病の床につくこととなった。その間に彼女はブレシルの婦人から言葉を習い覚え、ブランディアの癒やしの術により快癒した。

しかしハウズ=エン=エルレスの塚の上にいた事や、それ以前のことは何も思い出すことが出来なかった。

ブランディアは彼女に物を教えるため、二人で森を歩くことが多くなり、次第に彼女に惹かれていったが、彼女の心は常にトゥランバールに向けられていた。

やがてトゥーリンもニーニエルを難からず思っていたので、向けられる好意に応えるようになっていった。

 

497年 この頃ブレシルの民たちはオークに悩まされることがなくなってきていたので、トゥーリンも戦いには行かずその平和を享受しているうちに、ニーニエルに結婚を申し入れた。

しかしニーニエルは彼を愛しているにも関わらず、この時はその申し入れを一旦断った。というのもブランディアが引き止めたからであった。

それは決して恋のライバルとしての妬みからではなく、何とも言えぬ不吉な予感がしたからであった。

そして彼はトゥランバールと名乗っているが、真の名はフーリンの息子トゥーリンであると明かした。何故かその名を聞いた時、彼女の面には影が差した。

トゥーリンは振られるとは思っていなかったので、意気消沈したが、彼女からブランディアに待つよう忠告を受けたからだと聞くと不愉快になった。

 

498年 トゥーリンは再度求婚し、もし受け入れられねば自分はここを去り、荒野の戦いに戻ると断言した。

彼女はついに受け入れ婚約し、夏至の当日に式を挙げた。ブレシルの民は二人のために美しい家を建てて送った。二人は幸せの内にそこに住んだ。だがブランディアは苦しみ、彼の心は影に覆われた。

 

年の終わり、ナルゴスロンド王国全域を支配下に置いたグラウルングは、竜王のごとく振る舞い、オークを招集するとブレシルへの攻撃を開始した。

グラウルングの主たるモルゴスは、エダイン三王家の最後の一つが、未だブレシルに留まっていることを知っていたからである。

モルゴスが彼らの存在を見逃すはずがなかった。結局ブランディアの隠れ潜んで民を存続させる、という考えは所詮無駄な足掻きであった。

 

しかしオーク達が来襲した際、トゥーリンは戦には出なかった。ニーニエルの懇願に負けたからであった。彼は本拠地が攻撃された時のみ出陣すると、彼女に約束していたからである。

だが今回のオークの来襲は今までと違い、ブレシル攻略を目的としたものだったから、ドルラスや彼の仲間は苦戦した。

そこでドルラス達はトゥランバールに対して、ブレシルの民の一人であるならオークと戦うべきであると非難した。

止む無くトゥーリンはグアサングを取り出すと、ブレシルの男たちを大勢率いてオーク共を完全に敗北せしめた。生き残った少数がナルゴスロンドに帰り着き、グラウルングに事の次第を報告した。

竜はそれを聞いて激怒したが、黒の剣がブレシルにいるというオークの報告についてつらつらと考え、しばらく伏したまま動かなかった。

 

その年の冬は平和のうちに過ぎ、トゥランバールの武勇を皆讃えた。しかしトゥーリンは坐して思案に耽った。今や黒の剣の所在は明らかとなった。

これが吉と出るか凶と出るか。試練の時である。真にトゥランバール―<運命の支配者>となって、定めに打ち勝つか、それとも敗れるか。

何れにせよグラウルングは殺す。彼は決意した。己の運命に逃げず立ち向かうことを。

 

499年 ニーニエルがトゥーリンの子を身籠る。その頃ブランディアに、ナルゴスロンドからグラウルングが出撃した、という噂がもたらされた。トゥーリンは偵察隊を送り出した。

夏が近づく頃、竜はブレシルの国境近くで横たわり、住民たちに恐慌をもたらした。グラウルングは北のアングバンドへ帰るのではなく、ブレシルを襲うつもりでいることが明らかであったからである。

だが使者の報告で、グラウルングがナルゴスロンドからこちらへ向かって一直線に進んで来ていることを聞くと、トゥーリンの心に望みが生じた。

もしこのまま真っ直ぐにブレシル目指して竜が進むのなら、途中にある深い峡谷を超えなければならないからである。

 

トゥランバールはブレシルの民に、全軍でこの竜にあたっても勝ち目はないこと、必要なのは狡知と幸運と少人数の腕利きだけだと述べ、他の者達には最悪の状況、竜にこの地が蹂躙されるのに備えて避難の準備をするよう言った。

不安に惑う民たちに、トゥーリンはグラウルングがアザガールの一撃で逃げ帰った故事を引き合いに出し、彼はこれからグアサングを持って全力で竜の腹を狙うことを告げた。

グアサングを引き抜き、高く掲げたトゥランバールは、ブレシルの黒き刺と呼ばれ喚声を受けた。そして自分と行動を共にする強者を募った。

そしてドルラスとブランディアの身内であるフンソールと共に三人で竜退治に向かうことになった。

 

三人は遠くに竜から立ち上る煙を認める場所まで来た。

そしてトゥーリンは連れてきた二人に向かって、黄昏時になったらテイグリンに忍び寄り、気取られぬよう川までいけたなら、峡谷の底へ降りて激流を渡り、竜が動くときに通る道に出る、と言った。

今やグラウルングは巨体であるゆえに、カベド=エン=アラスの峡谷を飛び移ろうとしているであろうから、そこを下から竜の土手っ腹を狙うという作戦であった。

 

残されたニーニエルは不安の余り、このまま坐して待つ気にはなれず、結果を見届けるためトゥランバールの後を追った。

そしてブレシルの民の多くも彼女に賛同し、彼女とともに出発していった。ブランディアは無謀であると言って止めたが、一団は聞き入れなかった。

このため怒った彼は領主の地位を放棄し、トゥランバールを後釜に据えるがいいと言って、自分を歯牙にもかけなかった民への愛情を捨て去った。

そしてニーニエルへの愛のためだけに松葉杖と滅多に挿さぬ剣を腰に、彼女たちの後を追ったが、足が不自由な彼は一団から遥かに遅れてしまった。

 

辺りが闇の帳に覆われた頃、ついにトゥーリン一行はカベド=エン=アラスに到達し、激流の流れる音が、他の音を消し去ってくれることを期待して、峡谷を這い降りて底に到着した。

だがそこでドルラスの心は怯んだ。テイグリンの川は激流であり、しかも川には大きな石や岩が突き出していたからだ。

それでもトゥーリンは先頭に立って進み、ついにこの流れを渡りきった。続いてフンソールも渡りきった。彼はハレスの族の中でも武勇において人後に落ちない者だったからである。

しかしドルラスは渡ることが出来ず、引き返して森に隠れ潜んだ。テイグリンを渡りきった二人はドルラスに構わず、グラウルングの寝ている場所に向かって北上する道を探り始めた。

 

峡谷は暗く狭くなり、手探りで進む中、二人はついに上方に火のちらつきを見つけると同時に竜の巨大な鼾を聞いた。

そこで崖っぷちに近づくため、闇の中手探りで登り始めた。竜の腹を狙うためである。その時大きな音がし峡谷に谺した。グラウルングが眠りから覚め、ついに動き始めたのである。

事はトゥーリンの思い通りに運んでいた。竜は火を吐きながら、まず頭の部分を峡谷に渡し、その鉤爪で向こう岸になる崖をしっかり掴むと、次いでその長い体を向こう側に引きずり始めたからである。

 

二人は大胆かつ迅速に動く必要に迫られた。というのも、竜の吐く炎は免れたものの、グラウルングの進路からは逸れた所にいたため、竜の真下まで急いで崖を横断しなければならなくなったからである。

危険も顧みず、トゥーリンはよじ登って竜の真下まで行こうとしたが、その熱と悪臭に足がよろめき、崖から落ちそうになった。しかし後に続くフンソールが彼の腕を掴んで落下を防いでくれた。

トゥーリンは思わず、大した胆力の持ち主だと彼を賞賛し、彼をパートナーにしたことが幸いしたと言った。

しかしその直後に大岩が崩れ落ちて来て、フンソールを直撃し彼は水中へと落ちていった。これが彼の最期であった。

 

トゥーリンは自分に投げかけられた影が、新たな犠牲者を生んだことを嘆きつつも、一人竜に立ち向かうことを決心した。

彼は持てる限りの意志と力を奮い起こし、そして竜とその主への憎しみから、グラウルングが峡谷を渡り終える前に、崖の横断に成功し、竜の真下まで来た。

その時丁度竜の体の中央部が上を通り過ぎようとしているところだった。その巨体は重さの余り、トゥーリンの頭上すれすれまで撓んでいた。

そこでトゥーリンは黒の剣を引き抜くと、竜の腹に柄まで通れとばかりに深く刺し貫いた。グラウルングはその致命的な一撃に、絶叫を発した。

 

竜が断末魔の苦しみにのたうった際、トゥーリンの手からグアサングはもぎ取られた。

竜は苦しみの余り向こう岸にまでその身体を投じ、悶え咆哮を上げると、その苦悶から暴れ回り、周囲を火と巨体で破壊すると、ようやく煙と焦土の中に長くなってピクリとも動かなくなった。

トゥーリンは凄まじい疲労を覚えたが、這うように再度渡河すると、もと来た崖をよじ登った。そして竜の断末魔の場に来ると、ついに仕留めた仇敵をつくづくとうち眺めた。

 

そこで彼は竜に近寄ると、腹に足をかけ、グアサングの柄を握り引き抜こうと力を入れた。

その際にナルゴスロンドの城門前で、彼を嘲弄したグラウルングの言葉をもじって竜を嘲ると同時に、「別の名の者を待つ必要はなかったな」とも蔑んだ。

そして彼は剣を引き抜いたが、その時竜から吹き出した黒血が、その毒で彼の手を焼き、痛みに思わず彼は声を上げた。

そこへ、まだ死んでいなかったグラウルングが邪眼を見開き、トゥーリンを凝視したため、彼は意識を失って、死んだように竜の側に打ち倒れた。

 

グラウルングの断末魔の叫びはニーニエルたち一行のもとにまで響いた。そこで皆恐怖し、竜が襲撃者を打ちのめし、勝利を収めたのではないかと疑った。

そこで彼らは竜の気配を伺っていたが、様子を探りに行くほどの剛の者はいなかった。ニーニエルはグラウルングの声を聞くと同時に、心が闇で覆われただ身を震わせるだけだった。

そこへブランディアがやって来た。彼はようやく一団に追いついたのである。

その場で、竜が川を渡ったことと、トゥーリンと他の二人は死んだのだろう、という話を聞いた彼はニーニエルを憐れんだ。

 

だがふと、トゥーリンは死んだがニーニエルは生きている、そして竜はブレシルの拠点へと行ってしまっただろうと考え、彼はその間にニーニエルを連れて、共に逃げ出そうとした。

そこで彼女の手を取ると、テイグリンの渡り瀬に続く道を下っていった。その時彼女は立ち止まり何処へ行くのか尋ねた。

ブランディアは竜から逃げるために遠くへ一緒に逃げるのだ、と答えたが、彼女は夫の元へ連れて行くのだとばかり思っていた。

自分は夫を探すからブランディアは好きな様にすればいいと言うと、彼を置いてさっさと竜の渡河した方向へ進んでいった。

ブランディアは呆気にとられていたが、一人で行ってはいけないと制止しつつ、慌てて自分も彼女の後を追った。だが彼はその足の不自由さ故に引き離された。

 

どんどん先を進む彼女はハウズ=エン=エルレスに着いた。すると不意に恐ろしさに襲われ、一声叫ぶと背を向けマントを脱ぎ捨てて、白い衣装を月光に煌めかせながら、川沿いに南方向へ向けて走りだした。

ブランディアは山腹からその姿を認め、彼女の通る道と出会う方向へと向かった。それでも彼はまだ彼女に追いつけなかった。

そしてニーニエルはついに竜と彼女の夫が横たわっている場所にやって来たのである。月は冴え冴えとした光を投げかけ、辺りを照らしていた。

 

彼女は竜の体と側に倒れている男を眼にした。彼女は恐怖も忘れて、最愛の夫であるトゥランバールの許へ駆け寄ると必死に声をかけ介抱した。だが応えはなかった。

彼女の叫びを聞きつけたブランディアもその場に辿り着いた。しかし彼は動けなかった。というのも、ニーニエルの声に反応してグラウルングが身じろぎしたからである。

竜はその邪眼を彼女に向けると断末魔に喘ぎながら言った。「また会ったな、フーリンの娘ニエノールよ、喜ぶがいい、ついに兄妹が相見えたのだから」と。

そしてここにいるのが彼女の兄トゥーリンに他ならず、様々な禍事を行く先々で齎す者で、その中でも最悪の行為は、彼女自身が肚の中に感じているであろうと告げた。

 

こうしてグラウルングは死んだ。ニーニエル、今やニエノールは愕然として座り込んだ。竜の死とともに忘却の呪いが取り払われ、すべての記憶が戻ってきた。

彼女は恐怖と苦悩で震えた。それを聞いていたブランディアは恐ろしさの余り、木に縋り付いた。

それからニエノールは突如跳ね起きると、トゥーリンを見下ろして別れを告げた。「さようなら、二重に愛するお方よ」と。

 

そして彼女は半狂乱になってその場を離れた。

ブランディアは待つよう制止したが、彼女はもう全てが遅いと答えて彼の前から走り去り、カベド=エン=アラスの崖の縁に来ると、テイグリンの川に向かって呼ばわった。

水が自分を抱きしめてくれるよう、ニエノール・ニーニエルを海まで運び去ってくれるよう。そうして彼女は崖から身を投げ、轟く激流の中へ消えたのである。

 

ブランディアは恐ろしさの余りその場を離れた。道中ドルラスと出会い、この男が仲間を見捨て、森に隠れ潜んでいたことを知り激高した。

そしてトゥーリンをそそのかし、竜を呼び寄せ、フンソールの死を招いたのはお前のせいだと詰ると、ドルラスを斬り殺した。

そして民のもとへ戻ると、竜とトゥランバールが死んだことを吉報だと述べ(これに民は彼は気が触れたのではないかと疑った)、さらにニーニエルも死んだこと、二人が実はフーリンの子で兄妹であったことを伝えた。

そしてニエノールは川に身投げしてしまったから、トゥーリンの墓を作ろうと一団はその場を離れた。

 

ニーニエルが走り去るのと同時にトゥーリンは身じろぎした。彼女の声が聞こえたような気がしたからである。だが彼は疲労の余りこんこんと眠り続けていた。そして暁頃に眼を覚ました。

ふと竜の毒血で焼かれた手を見やると手当がしてあった。それなのに地面に置き去りにされていたのが彼には解せなかった。そして疲れきった身でグアサングに縋りつつ、もと来た道を戻っていった。

その時に彼を埋葬しようとしていたブランディア一行と行き会ったのである。人々は彼を見ると驚き恐れて後退った。亡霊ではないかと思ったのである。

それにトゥーリンは自分は生きていること、竜は倒したことを言うと、誰かがブランディアを愚か者と呼んだ。彼が偽りの話をしたと思ったのである。

 

しかしトゥーリンは、毒血で負った傷の治療をしてくれたのがブランディアだと勘違いし、愚か者呼ばわりした者を叱責した。

そして知りたいことはたくさんあるが、まずニーニエルはどこにいるのかと尋ねた。しかし皆それに答えられず、ブランディアがここにはいないと答えた。彼女は死んだのだと告げた。

それに対してブランディアに好意を持たないドルラスの妻が「ブランディアは気が触れているから聞き流せ」とトゥーリンに言った。

トゥーリンの死を吉報だと言ったりしたのだからと付け加え、ニーニエルの話も何処まで本当やらと疑問を呈した。

そこでトゥーリンはブランディアに近づくと、自分の死がいい知らせとはどういうことだと詰め寄り、「ニーニエルのことで自分に嫉妬しているのか曲がり足め」と侮辱した。

 

ブランディアの心は怒りの方が憐れみに勝り、ニーニエルは身投げして死んだと言い、しかしそれはトゥーリンのせいであり、彼から逃げるため、彼に二度と会わぬためだからだと言った後、彼女がフーリンの娘ニエノールだと明かした。

そしてグラウルングの死の間際の言葉を再現してみせ、トゥーリンに対して彼は彼の身内にも、彼を匿った者達にも禍をもたらす者だと言い返した。

これを聞いたトゥーリンは、グアサングを握ると残忍な眼でブランディアを見た。というのもブランディアの言葉に、自分に追いつこうとしている運命の足音を聞いたからである。

 

けれども彼の心はそれを認めようとはしなかった。ブランディアは己の死を予感したが怯まずに、自分は死を恐れはしない、愛するニーニエルを探しに行き、彼女を再び見出すのだと言った。

激怒したトゥーリンは、「偽りを吐くお前が見出すものはグラウルングだ、お前の魂の友である長虫とともに闇の中で朽ちるがいい!」と叫びブランディアを斬殺した。

それから彼は走り去るとハウズ=エン=エルレスにたどり着き、フィンドゥイラスの名を呼び良い智慧を授けてくれるよう叫んだ。

これからドリアスに向かってグラウルングの最期の言葉を確認すべきか、それともどこか戦場に死を求めるべきか、何れがより禍をもたらすのか彼にはわからなかったからである。

 

丁度そこへマブルングが完全武装した一隊を引き連れてやって来た。彼らはグラウルングが出撃した事を聞き及び、力を貸すためにやって来たのであった。

しかしトゥーリンから竜を斃したことを聞き及ぶと、エルフ達は驚嘆し大いに彼を褒めそやした。しかし彼はそれに構わず、ドリアスにいるはずの肉親について尋ねた。

エルフ達は答えなかったが、ようやくマブルングがモルウェン母娘に訪れた凶運について話した。

こうしてついに運命がトゥーリンを捕らえたこと、ブランディアを殺したのは不当なことであったことを彼は知った。

 

トゥーリンは憑かれたように高笑いして、全くひどい冗談だと叫んだ。

そしてマブルングたちに自分の前から失せろと繰り返すと、「ああ、呪われよ、呪われよ、呪われよ!メネグロスも、マブルング達の用向きも呪われてあれ!」と狂気に侵された如く叫び、彼らの前から走り去った。

後に残された者達は呆気に取られたが、マブルングはなにか恐ろしいことが起きたに違いないと考え、トゥーリンを助けるため彼を追いかけた。

しかしトゥーリンは彼らの遙か先を走り、追いつけなかった。

 

トゥーリンはカベド=エン=アラスにまで来ると、グアサングを引き抜き、剣に向かって問いかけた。

「グアサング、死の鉄よ!汝は如何なる血にも怯まぬであろう。汝、トゥーリン・トゥランバールを受けるや?速やかに我が命を奪うや?」

すると驚くべきことに、黒き剣は答えを返した。「然り」と。「汝の命を速やかに奪ってやろう」と刀身から冷たい声が響いた。

 

そこでトゥーリンは地面に剣の柄を立て、グアサングの切っ先に身を投じた。

黒き剣は彼の命を奪った。そこへマブルング達がやって来て竜とトゥーリンの亡骸を眼にした。

ブレシルの民も来たことで彼らから一部始終を聞き、トゥーリンの狂気と死の原因を知って、驚きに打たれた。

やがてマブルングが悲痛な口調で、「自分もまた運命の網に捕らわれてしまった。こうして自分の言葉でトゥーリンを死に追いやってしまったのだから」と言った。

それから彼らがトゥーリンを担ぎあげると、黒の剣が粉々に砕けているのを見た。

 

エルフと人間は多くの木々を集めると、竜の骸を焼き灰にした。そしてトゥーリンが倒れていた所に高い塚山を築くと、彼をそこに葬った。

グアサングの破片も傍らに埋められた。それら全てをなし終えるとエルフと人間の詩人が哀悼の唄を歌い、大きな灰色の石を塚山の上に立てた。そこにはドリアスのルーン文字で、

 

トゥーリン・トゥランバール ダグニア グラウルンガ

ニエノール・ニーニエル

 

と刻まれた。しかしその塚山に彼女はいない。テイグリンの激流が、彼女を何処かへと運び去ってしまったからである。

かくしてベレリアンドの全ての物語詩の中で、最も長いフーリンの子らの物語は終わる。

 

その後、グラウルングが去ったナルゴスロンドの廃墟には小ドワーフのミームが入り込み、その財宝と戯れて独り暮らした。

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